タグ: ssl

トルクメニスタン3日間の弾丸旅行記

こんにちは! SSL(ICC Student Staff Leader)のR. H.です。今年度も残り僅かになりましたね。私は大学4年で、あと1か月足らずで大学生活は終わってしまいます。まさか大学生活の最後の1年間のほとんどがオンライン授業で終わってしまうとは1年前の自分にとっては考えられなかったことです。

さて今回は、1年前の夏に中央アジアのトルクメニスタンに旅行に行った時の様子を書き残します。トルクメニスタンはイランの北、ウズベキスタンの南西に位置するカスピ海に面した中央アジアの国です。旧ソ連の国で、ソ連崩壊後に独立した国です。人口は500万人ほどで、住民の多くがトルコ系の言語のトルクメン語を話します。ただ、ソ連時代の影響で、ロシア語も国中で通用します。トルクメニスタンは中央アジアの国でも謎の多く閉ざされた国で、普段外国人が旅行に行ける機会は非常に限られています。例えば、2016年に日本に入国した外国人はのべ2403万人ですが、同じ年にトルクメニスタンに入国した外国人はたったののべ6000人だったそうです。

そんな中、トルクメニスタン政府はいきなり日本へ初のチャーター便を送り、200人ほどの日本からの旅行客を受け入れるということを決めました。チャーター便はなんと往復2万円という破格の安さです。旧ソ連好きで、中央アジア好きの私は、高校時代からいつかトルクメニスタン行きたいという願いをもちつづけていましたので、そのニュースを知人の在日トルクメン人の友人から聞いた私はいてもたってもいられなくなり、すぐにトルクメニスタン大使館に出向いて、そのイベントへの参加申請をしました。

申請してから約1週間たらずで、出発というドタバタスケジュールで、2泊3日のトルクメニスタン旅行に出発することになりました。 

1日目

by R.H.

朝6時30分ごろに羽田空港に集められた私たちは、長い待ち時間を羽田で過ごしたあとに、お昼ごろトルクメニスタン航空のチャーター便に乗り込みました。 

by R.H.

飛行時間はおよそ6時間ほどでした。中国の内モンゴル自治区上空からは一面砂漠が続くようになりました。この荒涼とした大地を古来より様々な騎馬民族や商人たちが行き来してきたのだと思い感慨深くなりました。これぞまさにシルクロード。写真は新疆ウイグル自治区ウルムチ市上空です。砂漠の中にいきなり大都市が現れました。新疆ウイグル自治区を通り過ぎると、キルギスなど中央アジアの国々の上空に入りました。長い飛行時間のあと、灼熱のカラコム砂漠の端に、白い都市、アシガバードが見えてきました。ついにトルクメニスタンの首都アシガバードに到着です! 

by R.H.

飛行機が無事アシガバード空港に到着したのち、空港ビルに入り、入国カウンターに向かいビザをパスポートに押してもらいました。空港の中には上の写真のトルクメン語で Hoş geldiniz(ホシュ・ゲルディニズ)「ようこそ」と書かれた表示がありました。トルコ語でも「ようこそ」はHoş geldinizですので、トルコ系言語の類似性を強く感じました。 

by R.H.

空港で入国手続きを済ました私たちは政府が用意してくれたバスに乗ってアシガバード市内に入りました。ニュースやネットで見た情報通り、窓から見える建物全ては白の大理石でできており、みな等間隔に規則的に並んでいました。まさに異世界です。 

by R.H.

バスに揺られて、私たちはまずアシガバード国立歴史博物館につきました。そこで伝統衣装を着た学芸員の女性がトルクメニスタンの歴史と文化について解説してくださり、アザディ名称世界言語大学の日本語学科学生さんが日本語通訳をしてくださいました。古代パルティア王国からセルジューク朝など様々な国家がこの地で興亡したことを感じることができました。 

by R.H.

この写真は博物館内に展示されていた、トルクメニスタンの大統領、グルバングルィ・ベルディムハメドフ大統領の絨毯です。前の故ニヤゾフ大統領同様、トルクメニスタンでは大統領個人に対する崇拝が行われており、街中いたるところに大統領の写真や肖像画があります。この肖像画絨毯の立派な馬に乗った大統領の姿はまさに国の英雄といった感じです。 

by R.H.

博物館を見学した後、またバスに乗り込みました。バスからは街の風景が見えますが、基本的に日中でもアシガバードの人通りはとても少なく、ここが人口百万人の都市だとは感じられないほどです。今までいろいろな都市へ旅をしてきましたが、ここまで生活感が感じられない都市は珍しいと思います。白い無言の大理石の建物が夕日に照らされ、なんとも言えない哀愁を感じさせます。 

by R.H.

夜は地元のレストランでトルクメン料理を堪能しました。そのあと、またバスにゆられながら、アシガバードの街が一望できる丘に向かいました。丘の上には何とも奇抜なキューブの中に球体の入った建物がそびえていました。建物を照らすライトの色が数分ごとに青や黄や赤に変わるのでそれもまた不思議でした。実はこれ、「結婚式宮殿」という意味のBagt Koshgiとよばれる場所で、結婚式が良く行われる場所らしいです。確かに私たちが行った時も式後らしき1組の新婚夫婦が写真を撮っていました。 

by R.H.

by R.H.

目の前にはアシガバードの美しい夜景が広がっていました。色とりどりに輝く大理石のビル群と奇妙の形をした建物やオブジェ。まるで夜の空港のように等間隔に並んだライト。遠くには大統領府も見えました。 

by R.H.

夜景を楽しんだ後はアシガバード市内のホテルに向かいました。ホテルは主に外国人向けのホテルらしく、とても豪華でした。ちなみに標識からトルクメン語でホテルを意味する単語はmyhmanhanaだというらしいことがわかりました。確かに、ウズベク語でもホテルはmehmonxonaです。Myhman/mehmonは客・ゲストという意味のペルシア語由来の単語で、-hana/-xonaは「~館」「~室」を表すペルシア語接尾辞ですね。トルコ系言語でもトルコ語の図書館kütüphane)は「本の館」、喫茶店çayhane は「お茶(チャイ)の館」という風に接尾辞のついた単語はたくさんあります。 

2日目

by R.H.

朝起きるとすでにホテルに人はほとんどいませんでした。食堂には数人のホテルのスタッフと私と友達しかおらず、貸し切りのような状態でリラックスして朝食をとることができました。 

by R.H.

ホテルからは朝の市内の様子が見えました。相変わらず道には人がおらず、車が数台走っているだけです。 

by R.H.

ホテルのパン職人のレベルは高いですね。パンで作られたカメやヘビなどの動物たちがかわいいです。 

朝食を済ませた私たちをあらかじめ手配しておいたガイドさんと運転手さんがホテルの前まで迎えに来てくれていました。トルクメニスタンでは個人旅行が許可されていないので、ガイドさんをつけなくてはなりません。 

車に乗っていざ出発です。 

by R.H.

まず私たちは首都アシガバードを抜けて、車で40分ほど走りアナウという場所にある、Seyit Jemaletdin モスクの跡地に着きました。このモスクは15世紀ホラズム・シャー朝時代に、大臣Muhammad Khudaiotが父のために建てたものです。このモスクの特徴はモスクに描かれた2つの竜です。通常偶像崇拝を禁止するイスラム教のモスクはこういったものを描きませんが、このモスクは例外なようです。伝説によりますと、ある時ここの近くの住民とそこの女王のもとに一匹の竜が「もう一匹の竜が傷ついていて、あなたがたの助けが必要です」と助けを求めてきました。優しい住民と女王はその竜を助け、竜はそのお返しをし、その竜を記念する立派なモスクが建てられたそうです。1948年の地震で倒壊してしまいましたが、今も参拝客が絶えません。私たちが訪れた時も写真のように、Jemaletdin の棺の周りを地元の参拝客がグルグルと回っていました。 

by R.H.

私たちはモスクの跡地を見学した後、また車に乗り込み、草原の中をひたすら走り続けました。途中草原に小さな丘がぽつぽつと見えました。ガイドさんが言うにはそれらの丘はアレクサンドロス大王が征服しにきたときに作っていったものだそうです。今まで残っているのも驚きですし、ギリシャ・マケドニアの力がここまで及んでいたことにも感銘を受けました。世界史の雄大さを感じます。 

by R.H.

昼食は道中にある小さな地元の食堂でとることにしました。食堂は地元の人たちで活気に満ちていました。写真の料理は羊の肉です。大量の羊の肉に大量のパン。お腹いっぱいになります。写真の右の方がガイドさんで、前の方が運転手さんです。運転手さんは英語が全く話せませんので、ロシア語で私が話しかけると、とても喜んで流暢なロシア語でいろいろと昔の話をしてくださいました。(ソ連時代の影響で、トルクメニスタンの人々、特に30代以上の人たちはロシア語を皆流暢に話せます。)運転手さんは若い頃3年間、ソ連軍の兵士として従軍し、モスクワの赤の広場での軍事パレードにも参加したことがあるそうです。アフガン戦争の時は大変ではあったが、いい人たちが多かったと懐かしそうに話していました。当時、同じソ連人同士の間でもトルクメニスタン(当時はソ連の一部)については知られておらず、「トルクメニスタン(地方)?どこ?ウズベキスタンのこと?」ということをよく言われた経験があり、独立国になったトルクメニスタンはこれからもっと世界に知られることを願っているとおっしゃっていました。

by R.H.

昼食をとって、車に乗り込んだ私たちはまた大草原をひたすら走り続けました。数時間後、トルクメニスタンの有数の地方都市、マル(Mary)に着きました。写真はマルのGurbanguly Hajjiモスクです。マルは首都のアシガバードと違い、道端に多くの人が歩いており、生活感も活気もありました。建物も至って普通です。マルは古くからシルクロードのオアシス都市として栄えてきました。そのため周辺には多くの遺跡が残されています。現在はトルクメニスタンの重要な輸出品の天然ガスと綿花生産の中核を担う都市となっております。私たちはマル近郊にある世界遺産メルブ遺跡を訪れるためにこの街に行きました。 

by R.H.

博物館でマルの歴史を学んだ私たちは、メルブ遺跡に向かいました。まず初めに訪れたのはセルジューク朝第8代スルタンのAhmad Sanjarが眠る霊廟を訪れました。メルブはセルジューク朝時代に最も栄えました。数万冊の蔵書があったという図書館が8つあり、天文台も築かれました。『ルバイヤート』で知られる著名な詩人、数学者であったウマル・ハイヤームも、この時期のメルブの天文台主任として活躍しました。1077年、当時王子だったSanjarはセルジューク朝のホラーサーン地方の支配を任され、ここメルブに宮廷を置きました。12世紀末もホラズム・シャー朝のもとで繁栄していたメルブでしたが、1221年のモンゴル人による侵略によって、ほとんどの建物は焼かれ、住民70万人は皆殺しにされてしまいました。現在、当時の建物はほとんど廃墟となっていますが、外壁5m、基礎6mというこの堅牢なスルタン・サンジャールの霊廟は奇跡的にモンゴル軍の破壊を免れ、地震にも耐えぬき、現在の私たちに当時の建築技術の高さを教えてくれています。 

by R.H.

遺跡内を移動中にロバ車に乗った女性と子供の一行に出会いました。皆さん気さくな方々でした。子供から老人まで皆ロシア語が流暢で、まさに国民全員がバイリンガルの国です。ロバがとても重たそうにしていたのが印象的でした。 

by R.H.

写真は約40mx50mの方形で約12mの壁に覆われた、昔の貴族や政府の役人などが住んでいたとされる宮廷跡、Kyz Kalaです。 

by R.H.

遺跡を見学した私たちは、車に乗ってアシガバードへ数時間以上かけて戻りました。写真は途中通りすぎたとある町の夕方の景色です。 

by R.H.

首都アシガバードに戻ってきたのは夜の9時過ぎでした。運転手さんとガイドさんにお礼を言ってホテルの前で別れたあと、ホテルで就寝する予定でしたが、私はまだ寝るのが惜しく、一人で抜け出して近くを散策してみました。写真のように白い大理石のマンションが毎分ごとに青、紫、緑、赤・・・と様々な色に変化していました。不思議なのはほとんどどの部屋にも明かりがともっていないことです。皆さん眠ってしまったのか、それともそもそも誰も実は住んでいないのでしょうか? 

by R.H.

道には車も人も何も走っていません。静けさだけが支配しています。 

by R.H.

by R.H.

私たちが泊まったホテルはアシガバードのオリンピック村にあり、様々な大きなスタジアムにオリンピックの五輪をモチーフにした橋が架かっていました。しかし、オリンピックの開催が決定したわけでもないのに気が早いですね・・・ 

3日目 

最終日は朝ホテルで他の旅行客の皆さんとも食事をした後、午前中近くのデパートによってお土産を買ったりしました。昼間は人もちらほらと歩いていました。 

by R.H.

トルクメニスタンの学生さんたちは皆決まった服装をしています。女の人は赤い伝統服を着て、トルクメニスタンの伝統帽子を被り、髪型は長いおさげの三つ編みです。男の人はスーツに伝統帽子という組み合わせ。 

by R.H.

空港へ向かうバスから見えるアシガバードの白い建物は快晴の青い空ととてもマッチしていました。 

by R.H.

アシガバード国際空港が見えてきました。白い鳥がモチーフのなんとも芸術的なデザインの空港です。 

by R.H.

東京行きのチャーター便に乗って、私たちはトルクメニスタンに別れを告げました。写真は空港の滑走路ですが、ほとんど他の飛行機はとまっていませんでした。国際便はこの国ではまだまだ珍しいようです。3日間の短い旅でしたが、シルクロードの魅力を感じることができ有意義でした。またいつかトルクメニスタンを訪れたいと思っています。最後までお読みいただき本当にありがとうございました。 

R.H. (Student Staff Leader)

Where is your third space? How our third space has changed under COVID-19

by H.C.
ICC Student Staff Leader

What is “Third Space”?  

Have you heard of the term “third space”? Well, we have to first get to know what the “first” and “second” spaces are. First and second spaces are two different and sometimes conflicting spatial groupings that people interact within; first space is commonly known as our home where we perform private daily routines whereas second space is the public space, like our workplace. Third spaces are the in-between, where the first and second spaces work together to generate a new third space. Third space is usually a place for us to escape from both, where we want to be, and a place that provides us a sense of self. A couple common examples of third spaces are coffeehouses, museums, and nightclubs, where people can run away from their duties for a while. 

Japan’s third space 

According to OECD data, in Japan the percentage of employees that work long hours is 17.9%, which is higher than the average of 11%. Furthermore, in Japan full-time workers devote themselves mostly to their work and spend less time on personal care or leisure activities. Japan is ranked as the country with the 5th worst work-life balance (out of 40), so its people need a third place from time to time to relax and escape from reality. Therefore, Japanese coffeehouses, unlike other countries’, serve a unique purpose for the people in the hustle and bustle of the city. People go to the café mainly to be left undisturbed rather than having business connections like in the West. In other words, Japanese cafés offer a novel space for the urban taste and a time away with no characters attached, for both city people and those coming from the suburban areas. 

After COVID-19 

With the increasing cases of COVID-19, the government requires people to stay at home unless it is absolutely necessary, and most companies ask their employees to work from home. However, I realize that the coffeehouses are still busy or even busier than before. It makes me wonder if coffeehouses, serving as a third space for people to release stress, actually may become a social problem because its existence encourages people to go out instead of staying at home. I, personally, also like to go to coffeehouses a lot to try out different hand-brewed coffees and enjoy some time alone. It seems that I can no longer enjoy what I perceived as an escape under this circumstance. What could be our third space if we no longer can mobilize freely? How can we reduce our stress when our home becomes our workplace?

Where is your third space…?   

フィールドホッケーの魅力

はじめまして! 

秋学期から新しくICCの学生スタッフリーダーとなりました、H.Y.です。今回は、私が現在夢中になっているスポーツ、フィールドホッケーについて紹介したいと思います! 

競技の説明 

突然ですが、皆さんは「フィールドホッケー」というスポーツをご存じですか? 

実は私も、大学に入るまではどのようなスポーツなのか知りませんでした。(笑) 

世界ではサッカー、クリケット、バスケットボールに次ぐ人気スポーツで、ファン総数はなんと22億人もいるそうです。しかしながら、日本では、マイナースポーツの部類に入る、珍しいスポーツです。周囲に「ホッケー部に所属している」と言うと、アイスホッケーやラクロスと間違えられることがよくあります。 

ホッケースティックの例(筆者) 

フィールドホッケー又はグラウンドホッケーとは、上の写真のような形をしたスティックと、野球のボールくらいの大きさの硬球を使いながら、パスやドリブルを駆使して相手のゴールへシュートをし、得点を競い合うスポーツです。ホッケーの起源は、ナイル川流域で発見された壁画にホッケーをする人々が描かれていることから、古代エジプトにあると言われています…!近代ホッケーはイングランド発祥であり、1908年にオリンピック競技に認定されました。現在では、オランダが世界一のホッケー強豪国として知られています。 

1チーム11人の選手が出場でき、ほとんどの場合はゴールキーパーが1人、スイーパーが1人、ディフェンスが3人、ミッドフィールダーが3人、フォワードが3人のポジションにつきます。プレースタイルは、サッカーと少し似ています。 

サッカーとの大きな違いは、ボールが足に触れてしまうと反則で、相手ボールになってしまうこと、ゴール前の「サークル」と呼ばれるシューティングゾーンからのみ得点ができること、選手交代が自由なこと、競技を始める前に人工芝に散水すること(ボールを滑りやすくするため)などが上げられます。 

是非興味が湧いた方は、一度YouTubeなどで「フィールドホッケー」(または「Field Hockey」)と検索をかけてみてください! 

早慶ホッケー定期戦

ルールの説明はここまでとして、続いて先日行われた早慶ホッケー定期戦(早慶戦)について共有したいと思います。 

私はこの8月から、体育会の女子ホッケー部に入部しました。まだホッケー歴としては約4カ月の私ですが、夏練の成果を出すために全力で挑みました。今年はコロナウィルスの影響で、野球やラグビー、サッカーなど他のスポーツの早慶戦の観戦に行く機会がなかったため、私にとっては初めての早慶戦でした!まさか早慶戦観戦の前に、自分が出場する側として早慶戦に出る機会があると思っていませんでした。(笑) 

試合前の円陣の様子(早稲田スポーツ提供) 

早慶戦のはじまりは、1903年11月5日、早稲田大学野球部から、先輩格の慶應義塾大学野球部に挑戦状を送り、それに応える形で行われた試合だそうです。今から117年前から続いている、まさに伝統の対戦です。 

秋シーズンには他の大学とも試合があったのですが、他の試合とは明らかに異なる、「絶対に負けられない戦い」という雰囲気や、早慶それぞれの選手の気合に圧倒されました。 

早稲田がペナルティコーナーで得点をした瞬間(早稲田スポーツ提供) 

試合の結果としては、1-1の引き分けとなりました。早稲田の女子部は昨年まで14連勝をしていたところなので、勝ちたいところではありましたが、今まで感じたことのないくらいの一体感・チーム力を感じる良い試合が出来たのでとても満足しています。初めは緊張もしていましたが、試合が始まるとワクワク感や楽しさが勝ち、あっという間に15分x4クオーターが過ぎ去りました。 

見事シュートを決めた得点者(早稲田スポーツ提供) 

もちろん早稲田にとって慶應は永遠のライバルであり、絶対に勝ちたい相手ですが、こうして燃える試合の出来るライバルがいることはとても恵まれていることだと思いました。 

試合後の様子(早稲田スポーツ提供) 

今回の早慶戦で熱い戦いを経験して、改めて早稲田大学に入学して良かったと感じることができました。 

今年はコロナウィルスの影響で無観客試合となることが多いのですが、大人数の早稲田生で肩を組んで、共に大声で「紺碧の空」を歌える日が早く来てほしいです。 

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén