こんにちは、新学生スタッフリーダーのQ.Z.です。私は今年の春にICCで働き始めました!私は高校までずっと母国の中国にいて、高校卒業してから日本語を勉強し始め、大学に入るのは中国の同級生より二年も遅かったです。友達に「どうして日本への留学を決めたのか」とよく聞かれましたが、その理由は簡単です。中国の教育は主観性が強いから、留学したいと思いました。また、日本は中国に近いし、日本の文化も好きだから、日本に留学しに来ました。さて、今日は先入観と偏見がもたらした差別について、自分の考えをフランクに話したいと思います。そして差別という現象から見て、異文化交流の重要性を皆様に伝えたいと思います。

日本に来る前は、日本は人々が礼儀正しく親切で、社会秩序が良いなどとたくさんのことを聞きました。実際に来てみると確かにそうは思いましたが、いわれのない差別を受けたこともあります。外国人差別は日本に限らず、全世界の国々に普遍的に存在しているのだろうと思うので、日本に対して決して嫌になることはありません。但し、初めて差別と感じる体験をしたため、日本での日常生活において、周囲の差別の現状をよく観察するようになりました。

よく韓国人が嫌いな日本人は多いと聞きましたが、多分中国人が嫌いな日本人はもっと多いのでしょう。その理由は、誤解や偏見などを広げたマスメディアと政治的イデオロギーの違いではないかと思います。中国のメディアはすべて政府にコントロールされ、偏った意見が多く、それに対して反感を感じました。しかし日本のマスメディアも、偏った意見がたくさんあると思います。新聞もそうですが、ネットニュースは更にひどい状況です。中国に関するニュースを見ると、よく中国人の道徳低下、不衛生などと批判するいろいろな攻撃的なニュースを見かけます。コメント欄にも心無い言葉ばかりが並んでいる状況を目の当たりにします。ここであえて自分のエピソードを話したいと思います。アパートは壁が薄く、音の漏れがひどい状況です。最初それに気づかず、友達を家に招き遊んでいました。すると翌日管理会社の方から電話がありました。音の漏れに気づかず騒音を出したことは自分のせいで、反省していますが、その時の管理会社の方の言い方はとてもひどいものでした。「私は近くに住んでいるから、よく見ている。友達を連れ込むのはダメじゃないけど、中国人の友達をつれてきたら困る。中国人はみんなうるさいから。」その時の友達は中国人ではなく日本人の友達でしたので、「大阪からの友達です」と伝えると、「どうせ中国人でしょう」との返事でした。

しかし、少し考えると、中国側も同じように、日本人のことを悪者にする人も数多くいます。前述のとおり自分自身、中国の教育の主観について反感を感じたこともたくさんあります。たとえば、高校の歴史授業において、先生は「日本人は血に飢え、暴力を好む民族だ」と言いました。私はその時、一つの民族の性格をはっきり断言する先生のことを到底尊敬できませんでした。幸いなことに、実際の中国では、日本好きな人が増え続けています。高校のときも、まわりに日本のアニメと文化にはまり日本に憧れる友達がいっぱいいました。ところが、残念なことに、日本でできた中国人の友達が中国に帰国した後も、そのまま日本のことが好きな人はわずかです。日本人の悪口を言っていた友達は、ほぼバイトでいじめや、どこかで差別を受けた経験があります。私は差別される側の気持ちが理解できますし、一つの側面だけでその国の人を判断して、差別をすることは、決してよくないと思います。しかしながら、誰かに差別をされたからと言って、その人の民族全体を嫌いになることも差別と根本的に同じだと思います。

そう言いつつも、私もかつて差別をしてしまっていたことを覚えています。中高生時代にまわりにLGBTの方が何名かいました。そのときは自分の認識が足りなかったと今は感じています。また、いじめられっ子を助けず、ほかの人と同じように差別的な対応をしてしまったこともあります。たぶんそれは私だけの経験ではないでしょう。これを読んでいる読者達の中にも、何らかのかたちで差別してしまったことがある人がいるのではないでしょうか。しかしながら、多くの人がそのことを意識していないのではないでしょうか。もう一つの例を挙げれば、以前働いていた中華料理屋さんで、シェフの中国人のおじさんは中国人のスタッフが差別されているとよく文句を言っていました。そんな中国北方地域出身のシェフも、初対面の南方地域出身の私に、「南の人は親に甘やかされて育ったからあまり仕事ができない」と言いました。私はその際に差別を感じました。しかし、シェフはそのことを意識していていない感じでした。この経験を通じて、海外における外国人差別のみならず、同一国内においても地域差別が存在するということに気付きました。人々は差別をするもしくは、してしまう可能性があることを意識しなければ、まともに一人の人間として他人と向き合うことができないとのことに気付きました。とても惜しいことではありますが、人は、知り合った時点で相手は○○人だから、○○のだろうとの先入観が働いてしまうことはよくある話しです。

では、どうやって差別を皆が意識し、それを解消することができるのでしょうか。私は自分自身も差別をしていたことに気付いたのは、差別を受けた体験の後でした。それを気付かせてくれたのが異文化交流です。世界中の人々に出会い、彼らの物語を聞き、性格を理解し、ステレオタイプという人間が存在しないことに気付くことが大切です。どんなタイプの人も、すべての国や地域に存在しているはずです。そしてもっと大事なことは、仮に彼らが自分の常識から外れたことをしたとしても、それによって彼らの人としての品位を判断しないことです。たとえば、テーブルマナーを知らない人がいたとして、その人を馬鹿にする人をよく見かけます。しかし、人はそれぞれの出身地域、社会背景などが異なり、受けた教育も違うのです。それらは彼ら自身で選ぶことができません。例えば、あなたが経済的に豊かな家庭に生まれ、良好な教育を受けられたとして、貧乏な家庭に生まれまともな教育を受けられなかった人を馬鹿にしたり、差別したりすることができると思いますか。当然できないですよね。私は自分の髪の毛、瞳と肌の色が違う外国人と交流して、私たちが外見、経験してきた文化や受けた教育の内容などが違っても、本質的には皆同じ、みんな人間なのだ、似た悩みを抱き、同じようなことに喜びを見出すのだということを学びました。そして、みんなで仲良くなりたいと思っているだけなのだということが分かりました。

最後にもう一つのエピソードを書き添えます。私は日本語学校に通っていたとき、早稲田大学で何年も休学してヨーロッパとアフリカに旅に出た経験がある日本人の先生がいました。私は当時、日本の様々な礼儀作法への適応に悩み、それを勉強するための本を読んでいました。すると、その異文化交流経験が豊富な先生は「礼儀なんてこの世で一番要らないものだ」と言いました。礼儀を非常に重視すると聞いていた日本人がこのような発言をしたので、私は「え?」と大きく口を開け、とても驚きました。彼は私の様子を見て笑い、「心から相手のことを尊敬すればいいのだよ」と言いました。確かに、礼儀は表面的なことで、心の底からどう思うかが重要です。私の読んでいた礼儀の本にも、「礼儀を知らない人を馬鹿にするのは礼儀正しくない」と書いてありました。

相手のことを一人の人間として捉え、その人と向き合い、心から相手のことを尊敬する。それが出来ればこの世の差別はなくなるのではないでしょうか。これこそが異文化交流が私に教えてくれた大切なものです。私は、このことを意識しつつ、異文化交流を楽しみながら、外国人の親友を何人も作っていきたいと考えています。

Q.Z.(学生スタッフリーダー)