※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2011年12月27日公開)

                 欧州復興開発銀行(EBRD)
中沢 賢治

1956年新潟県出身。79年東京大学法学部公法コース卒業。79~90年東京電力株式会社勤務。88年ペンシルベニア大学院行政学修士号取得。90年外務省アソシエート・エキスパート試験格。91~92年国連工業開発機関ウ イーン本部勤務。93年より欧州復興開発銀行勤務。ロンドン本部電力チームウズベキスタン、マケドニア、キルギス事務所長歴任。2011年8月EBRDビ ジネス開発担当。12月EBRDロンドン本部中小企業技術支援チームに赴任。

 

今の仕事との出会いは運命のようなもの

今のお仕事に就かれた経緯について教えてください。

日本の電力会社で燃料関係の仕事をしていましたが、海外の燃料事情を調査し、国際的に活躍する人々と関わる過程で、自分も外の世界を経験してみたいという 気持ちが強くなりました。ちょうどその頃、たまたま新聞で外務省アソシエイト・エキスパートの募集を見つけました。1989年の夏の話です。これは日本政 府が国際機関に2年間日本人を派遣するプログラムです。このプログラムがなければ、私が国際機関で働き始めることはなかったでしょう。このプログラムの資格試験に合格したあと、受け入れ先の国際機関は自分で探す必要がありました。それまで燃料事情調査、調達計画の仕事をしていましたので、経験を活かせる仕事を探しました。ちょうどウィーンに本部のある国際連合工業開発機関(UNIDO)の省エネルギー・省資源に関するプログラムで空席があると聞いて、応募 を決めました。以前の仕事から発展途上国の経済開発に興味を持っていましたし、やはり自分の経験を踏まえて一貫性のある仕事がしたかったですね。自分の専門分野を見つけることは、学生の皆さんが将来の選択肢の一つとして国際機関で働くことを考える際に一番大切なポイントだと思います。自分の専門から全く異 なる分野に移るのはとてももったいないし、なかなか難しいと思います。欧州復興開発銀行(EBRD)との出会いについては、運命かなとしか言えませんね。EBRDが発足したばかりで、たまたま私が欧州で仕事をしていて、その新設の国際機関が電力分野の経験者を募集していたという3つの偶然が重なったのは幸運でした。

今までで一番印象に残っているお仕事は何ですか。

1993年にEBRDに入ってからいろいろな国を回ってきましたので、どれか一つを選ぶのは難しいですね。でも一番心に残っているという意味では、 EBRDに入って初めてプロジェクト・リーダーとして、アゼルバイジャンの水力発電所の改修工事を担当したことです。1994年のことで、プロジェクトの 発掘から理事会承認を得るための最終報告まで、仕事のサイクルのすべてを責任者として担当しました。EBRDでリーダーとして責任を与えられた初めての経 験でした。アゼルバイジャンの電力公社総裁とは、情報開示の必要性、電力事業の構造改革の方向性、将来の投資家誘致策などを話し合いました。発足したばか りのEBRDに対してマスコミでその活動を批判するキャンペーンが行われるなど、EBRDが難しい状況を迎えていた頃でした。そうした中で自分にまかされ た大きなインフラ・プロジェクトでした。これが調印に至り、英経済誌エコノミストの記事でEBRDの最近の活躍の例として言及されたときは、とても嬉し かったのを覚えていますね。EBRDはとてもスリムな組織なので、それだけの権限を与えられ易いという面白さがあります。

12年間に及んだ途上国勤務経験を活かして新たな分野に挑戦したい

今のお仕事のやりがいを教えてください。

EBRDは1991年に発足しましたが、世界銀行やIMFと比べて後発の機関である点から、設立の際に既存のものとは異なる機関にするという条件がありま した。その例として、EBRDはマクロ経済分析を担当する部局は少数精鋭でオペレーション・サポートを優先課題とし、経済分析については可能な限り、先行 機関のデータと調査結果を活用していることが挙げられます。EBRDが民間セクターに傾斜し、非常に専門性が強く、機動性が高いというのは、このような国 際協調があって初めて可能になる話です。それから私にとってEBRDの一番の魅力は、柔軟性があって風通しが良いというところです。私が日本の会社を辞め た理由の一つが、日本だけでなく他の世界も見たいと思ったことでした。私はEBRDで18年間勤めてきましたが、最初は電力チームのバンカーになり、ウズ ベキスタン、マケドニア、キルギス共和国の事務所長として現地でEBRDを代表する仕事に就いてからは地場の銀行や中小企業の支援を仕事の中心としてきま した。このようにいろいろなタイプの業務と金融商品を経験し、銀行内で職種を変えることができたので、EBRDの業務に飽きるということはまったくありま せんでした。「自分は専門家として一つの分野を長くやりたい」という方もいますが、そういう方はEBRDを経験してから元々の産業セクターに戻ることが多 いようですね。EBRDには長く勤続しなければならない文化はなく、風通しがとても良いですし、現実の経済と近いところで仕事ができることがやりがいで す。この12月からはロンドンの本部に赴任し、中小企業向けの技術協力を担当することになっています。

辛かった経験や壁にぶつかった経験があれば教えてください。

国際機関で働き始めて、最も大変だったことは言葉です。英語圏での留学経験はあったので、会議やレポート作成もなんとかなると思っていましたが、最初は大きなプレッシャーがありました。国際機関で働く際に、英語でのレポート作成能力とプレゼンテーション能力は必須です。幸か不幸か、世銀出身で人使いの荒いことで有名だった当時の上司は、私の作成したレポートにいちいちコメントを入れる人でした。自分のドラフト力が不足しているのかと最初は悩みました。とこ ろがその後、ネイティブの同僚たちも同じ目にあっていることを知って気が楽になりました。この上司の指導の下で6年間を過ごした頃には、一人で仕事ができ るようになっていました。EBRDの場合はロシア語圏の国が多いので、次のチャレンジはロシア語でした。途上国の勤務で現地の言葉がわからないで、通訳を 待っていると交渉が不利になることもあります。私はロシア語の歌のCDを毎日聞き、ロシア語と日本語の両方の字幕付きの映画を繰り返し見ることで、会話の内容がだいたい理解できるようになりました。相手の言っていることが理解できると、国際会議でも非常にプラスなのは間違いないです。話すほうはまだ発展途上段階ですね。

中沢さんは中央アジアの国々についてはどのような印象をお持ちですか。

「発見」の一言につきますね。学生時代の世界史の授業でイスラム圏の様々な学者や医者の名前を学びましたが、それらが実際にどこの国の人なのか知りません でした。たとえば、日本でもヨーロッパでもウズベキスタンのことを知らなくても、サマルカンドの青タイルのモスクやブハラのミナレット(尖塔)のことは本 で読んだことがあるという人はたくさんいるわけです。私はシルクロードと言ったらなんとなく中国の西域あるいはトルコの周縁あたりかなと思っていました。 しかし、ウズベキスタンに行って驚いたのが、イスラム文明にとって非常に重要な遺跡がそこにあることでした。キルギスの場合は、三蔵法師が書いた大唐西域 記に出てくるイシク・クルという湖があります。中国でもなく、トルコでもなく、ペルシャでもなく「中央アジアという世界があるんだ」ということが私にとっ ての発見でした。中央アジアは日本人にとっては、とても不思議な場所です。自分のおじいちゃんやおばぁちゃんに似た顔立ちの人がたくさんいますので、自然 とノスタルジックな気分になってしまいます。ところがいろいろな人々がいますから、その中で遊牧民族系だったりすると、考え方はまったく違います。何が似 ていて、何が違うかを考えることは、自分がどういう人間なのかを考える一つのきっかけになりました。

自分の知らない面白そうな世界を見てみたかった

中沢さんには今の大学生はどのように映っていますか。

私が海外勤務に憧れていた頃と比べると、やはり「内向き」ということをよく聞きます。私にとって、知らないところに行って、新しいことを経験するというこ とは喜びですが、どうも最近はそれを喜びとして感じない人が増えているように感じます。やはり経験してみないと分からないということはありますよね。そう いう喜びを知らないまま生きていくとしたら、それはそれで残念な話かなと思います。私がそもそも国際機関に憧れたのは、明石康さんや緒方貞子さんの回顧録 などを読んで、自分の知らない面白そうな世界があることを知り、そういう世界を見てみたいという気持ちが強かったわけです。今の大学生があまり外に興味を 持っていないとなると、果たしてそれは若い大学生たちの責任なのか、それともその上の世代が「君たちの知らないこんなに面白い世界が外にあるんだ」と紹介 し、刺激をあたえる努力を怠っているのか微妙なところでしょう。私が思うのは、国内での仕事が好きな人もいれば、海外での仕事が好きな人もいて、どちらも いても良いということです。私の場合は、長い間、海外にいたからこそ日本の古典が懐かしくなり、外から日本を眺めて、あらためて日本を好きになったことを 強く感じます。日本にいることと日本の外にいることの両方を経験し、比較して始めて実感できることもあると思います。どちらも経験した上で好きなほうを選 べば良いのです。お互いの違いを認識でき、落ち着いて比較検討したうえで自分の意見を形成することがグローバルなアプローチだと思います。

最後に、大学生にメッセージをお願いします。

途上国勤務を12年間やってきた中で、いろいろな形でJICAの協力隊員の若い人たちに出会いました。大学を卒業してまだ間もない人たちもいました。おそ らく自分探しの旅をしている途中ではないかと思います。試行錯誤をしながら現地の人たちと触れ合うことでまた啓発されて、自分の方向を定めていこうとして いるとても元気で魅力的な日本の若い人たちを大勢見たわけです。このような途上国での協力ボランティアは一つに選択肢にすぎないにしても、日本にいて行き 詰ったと思う方や、2,3年違ったものの見方や感じ方をしてみたいと思う方がいたら、「今とは違うオプションもあるんだ」ということを私は強調したいと思 います。

欧州復興開発銀行
http://www.ebrd.com/pages/homepage.shtml

キルギス駐在時代

タラス峡谷の天幕に住む人々

ゴルフ・トーナメント表彰式

ゴルフ・トーナメント表彰式

投資評議会の様子

投資評議会の様子

編集後記

シルクロードと言ったら私も中国やトルコのイメージが強かったのですが、中沢さんが語ってくださった中央アジアのお話がとても新鮮で興味深かったで す。実は文化的・歴史的な意味で中央アジアもシルクロードの中で非常に重要な地域であるというお話があったように、実際に現地に行った人にしか感じ取るこ とができないものはたくさんあるということを改めて感じました。そして、中沢さんがおっしゃるように、自分自身のことも周りのことも「こうだ」と決めつけ るのではなく、いろいろなことを経験して、そこから生まれてくる自分にとっての発見を一つひとつ大事にしていきたいと思いました。

陸 欣(国際教養学部4年)