月別: 5月 2020

外出自粛中、Effortlessメイクのすすめ

今学期、早稲田大学は全面的にオンライン授業になりました。それに加え、バイトやインターンがテレワークになった、という方もいらっしゃると思います。このように、オンラインで人と顔を合わせる機会が格段に増えましたね。

ここで、普段通りメイクをしてテレワークにのぞむべきか、迷うことはありませんでしたか?
今回のブログでは、テレワーク/オンライン授業の際におすすめのメイクについて共有させてもらいたいと思います。

在宅勤務時にメイクを行うかどうかについて花王株式会社が先月、アンケート調査を行いました。在宅勤務をしたことがある 20~50 代の一般女性を対象にしたアンケートで、約4割が普段通り、約6割が全くしない又は軽くメイクをすると解答しています。

2020年4月1日「在宅勤務時のメイクについて調査・花王株式会社」

全くしない又は軽いメイクをする人が6割を占めますが、いつも通りのメイクを行う人も一定数いることがわかります。

肌感覚ですが、日本人は海外と比べ、メイクを普段から丁寧に行う人が多いと感じています。留学先で日本人の友人との間で話題になったのですが、留学先のクラスメイトはプレゼンテーションの日になると正装・化粧をし、通常はスキンクリームとリップクリームだけという人が大半でした。普段はメイクをせず、特別な場合にのみ丁寧なメイクを行う人が多い傾向にありました。

私の留学先はフランスで、そこで理想とされるメイクのキーワードに、“Effortless”があります。よくフランスの女子は“Effortless”をキーワードに、着る服を選んだり、化粧をしたりします。

ここで、提案したいことがあります。オンラインで人と接する機会が増えた今、Effortless メイクを取り入れてみるのはどうでしょうか?
Effortlessメイクに定義があるわけではありませんが、文字通り手間をかけないメイクです。

例えば鮮やかなリップを主役に、日焼け止めや薄くファンデーションをつける、といった感じです。

ここに引用した動画がパリジェンヌの実践するEffortlessメイクの事例になります。この動画ではクリームとマスカラを使うという人が多いです。

We Went To Paris And Asked 13 Women Their Beauty Secrets | BAZAR×Paris

似ているものとして、ナチュラルメイクがあります。こちらも定義はありませんが、場合によってはナチュラルなルックスをつくるために、控えめな色のリップや自然な発色のチークを用意し、眉毛の描き方を工夫する等、ナチュラルに見えるために手間をかけることがあります。あくまでも凝らない、時間をかけないことがEffortlessメイクを行う上で大事なポイントです。

ここで、メイクからは少し外れますが、スキンケアにEffortlessを取り入れてみるのはどうでしょうか。

ミセラウォーターはご存じですか?クレンジング(メイク落とし)・洗顔(汚れ落とし)の役割も含まれた化粧水で、フランスやスペインで流行っているそうです。寝る前にミセラウォーターで顔をふき取り、乳液をつけて、顔のお手入れが完了します。従来のように、クレンジングと洗顔と化粧水の段階が別れていないため、肌を摩擦する回数が減り、健康的な肌を保つことができます。乾燥している春・秋・冬に特におススメです。

最後にもう一度聞きますが、オンラインで人と会う機会が増えた今、もしも化粧を普段通り丁寧に行おうか迷っていたら、Effortlessメイクはいかがですか。世界にはシンプルなメイクが素敵だという見方があることを伝えたく、 Effortlessメイクを提案させていただきました。もし興味をお持ちいただけたら、うれしいです。

SSL S.R.

West with the Night

Hey everyone, how is your ‘Stay at home’ time going?

This semester’s classes have all been changed to online classes. Even though school has already started this year, it still means ‘stay at home’ to me and most of the students.

While we cannot physically go out and experience the world, why not try to get some inspiration from the ladder of the progress of mankind a.k.a, books?

About the Book

I want to introduce one book I have read recently. It is called “West with the Night”. It is not written by a famous writer but by the first person to fly across the Atlantic Ocean from east to west in a solo non-stop flight Beryl Markham.

It chronicles many episodes of the writer Beryl’s life from the time she followed her father to Africa at the age of four to her flight across the Atlantic in 1936.

Whether the episode of when she followed native hunters hunting warthogs as a child, tamed a famous horse on her own, or flew a plane to track elephant herds across the grasslands, each story was so charming that it could have been pulled out of a Planet Earth-like documentary.

Just a little spoiler alert!

I don’t want to talk about the content of the book too much since it will take away the pleasure when you are reading the book.

So just a little!

On a rainy night in September 1936, Beryl flew the Weaver Silver Gull from Abingdon Military Base in England, heading west in the night, destined for New York. During the voyage Beryl suffered storms, engine shutdown, and a swamp forced landing, but she made it in the end.

In the book, she recalled the moment the engine died: instinctive fear made her want to immediately pull the joystick away from the surface, but expertise ordered her to fly toward the surface to reduce altitude and gain speed. In the moment of the battle between fear and sanity, she felt her hands become “the hands of strangers” and swooped out to sea with relentless precision to follow the flight code. She described the strange feeling as, “It’s like being surprised to find a stranger walking alongside you in the night. And you are the stranger.”

What impressed me the most

“You can live a lifetime and, at the end of it, know more about other people than you know about yourself. You learn to watch other people, but you never watch yourself because you strive against loneliness. If you read a book, or shuffle a deck of cards, or care for a dog, you are avoiding yourself. The abhorrence of loneliness is as natural as wanting to live at all. If it were otherwise, men would never have bothered to make an alphabet, nor to have fashioned words out of what were only animal sounds, nor to have crossed continents – each man to see what the other looked like.”

Feelings about loneliness are extremely complex and can be understood whether one chooses to escape or not. But it would also be a way of knowing myself if I could think more, like a day at home alone right now, and write about the feelings this book brings to me.

Please don’t miss it!

For me, the book gave me the chance to experience a totally different world and feelings. Even though I will not have the chance to be a pilot to view the world from another angle, the book gave me the opportunity to experience a totally different world and to see and to feel the world through Beryl’s eyes.

So if you are thinking about picking up a new book or want to find some new experience, please don’t miss it! 😊

J.F. (Student Staff Leader)

 

地球を飛びだし、宇宙で育む異文化コミュニケーション力

はじめに

「グローバル人材」とは近頃あらゆる場面で耳にする言葉ですが、どのような資質を持つ人のことなのでしょうか?様々な解釈が飛び交う中、文部科学省はこのように定義しています。

「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、
1)広い視野に立って培われる教養と専門性
2)異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力
3)協調性
4)新しい価値を創造する能力
5)次世代までも視野に入れた社会貢献の意識
などを持った人間」

2)の「コミュニケーション能力」と聞くと、英語や他の外国語を話せる能力を一般的に想像されるかもしれませんが、言語能力のほかに、文化と価値の差を認識し、乗り越えるための能力も必要不可欠となります。近年「異文化コミュニケーション力」などと良く言われていますね。

世界で通用する異文化コミュニケーション力の向上は、早稲田大学でも非常に力を入れています。大隈重信の「一国の為のみならず。進んで世界に貢献する抱負」という意を受け継ぎ、人としての尊厳と多様な価値観や生き方への尊重を通して、世界に貢献する学生の育成に取り組んできました。これら長年の努力を経て、現在、本学は日本で最多の留学生を受け入れる大学として学内での異文化交流も非常に盛んであり、私たち学生にとっても誇らしい環境です。

主に教育機関や企業などの場で発揮が期待される異文化コミュニケーション力ですが、予想外な場所で重視されていることを最近知りました。なんとそこは、地球を飛びだし、ほとんどの人が生涯行くことがないであろう「宇宙」です。未知な世界でありながら、多くの人が一度は行ってみたいと憧れる領域でもあると思います。では、実際に宇宙でどのように異文化コミュニケーションが育まれているのか、深堀りしていきたいと思います。

国際宇宙ステーションでの異文化コミュニケーション

宇宙開発と異文化コミュニケーション。一見関連なさそうですが、実は深く結びついています。宇宙開発と一言で言っても多くの職種がありますが、中でも一番注目を浴びる「宇宙飛行士」に求められる異文化コミュニケーション力にフォーカスを当てていきましょう。

宇宙飛行士は主に「国際宇宙ステーション」を拠点として活動しています。国際宇宙ステーション(ISS)は地球から遥か400kmも離れた上空に位置し、「国境のない施設」として宇宙環境でしかできない様々な研究や実験が行われてきました。日本、アメリカ、カナダ、ロシア、ヨーロッパ各国をはじめとする計15か国により運営されており、それぞれ自国で開発したISSの装置を責任持って機能させています。また、各国にはISSの運用を担う国立機関が設けられており、中でもアメリカのNASA、日本の宇宙航空開発機構(JAXA)はほとんどの人が耳にしたことがあると思います。JAXAは主に物資輸送やISS最大の実験棟である「きぼう」の運用などを務めています。一方で米国のNASAは各国と連携をとりながら調整するリーダー的存在であり、さらにISSへの電力供給を確保する役も担っています。

こうして各国がそれぞれの任務を果たしながら長年宇宙開発を進歩させてきたISSですが、今までにない形の国際協力の象徴の場でもあります。

宇宙飛行士として求められる素質

宇宙開発の場は共通の専門分野を持つ研究者が集まる一方で、個人の文化的背景が大きく異なるため、多様性に富む人材で成り立っています。よって、宇宙での研究は科学に留まる活動だけでなく、異文化交流のあり方を追求する上でも重要な役目を果たしていると言えます。

例えば、ISSに搭乗する宇宙飛行士になるための応募条件として「心理学的特性」という項目が含まれています。これは、協調性、適応性、情緒安定性などをはじめとする、国際的なチームの一員として業務に従事する上での適性として選考において重要視されている特性です。先ほど触れたグローバル人材に求められる資質と重複していますね。ISSで研究や実験をする宇宙飛行士は成果を出すことがもちろん最優先ですが、限られた滞在期間(約半年間)の中、効率的に仕事を進めるためには、異文化コミュニケーションを基盤としたチームワークを構築することが絶対条件となります。

日本人で初めてISSのクルーとして選ばれた宇宙飛行士、若田光一さんは有名です。合計4度もの宇宙飛行を経験し、日本人として最長の宇宙滞在期間を記録しただけでなく、2014年にはISSのコマンダー(船長)として任命されました。常に危険と隣り合わせの環境で仕事をするという緊張感高まる環境で求められる資質は、リーダーシップだけではなく、多国籍チームにおいて、個人の「違い」を尊重した高度なコミュニケーション力の発揮も必要とされました。

若田さんが船長として常に意識していたことは、「問い返し」を習慣化させることでした。クルー同士で意思疎通をするにあたって自分の意見を相手に正確に理解してもらうためにも、逆に相手の発言に対する自身の見解を共有することで曖昧な意思の伝達を防ぐためにも有効です。特に命がけで行う宇宙開発の現場ではミスやトラブルが許されず、誤解無くコミュニケーションを円滑化することが求められるので効果的だったそうです。このような細かな「配慮」の積み重ねを通して誰もが話し合いに参加できる環境づくりが最も大切だと言います。そして、こういった気遣いは私たちが普段の生活において異文化交流をする際にも意識できることの1つですね!

そんな若田さんはISSのコマンダーという誰もが思う超エリート職について、一般的なビジネスの場における「課長」のような存在に過ぎないと言います。宇宙開発という共通の目的の下活動する一つの組織のリーダーを担うことは、ビジネス界における一般企業の中間管理職として部下をまとめることと本質的には変わらないと言います。確かに全ての仕事においてリスクはつきものである上、リーダーに価値観やバックグラウンドの異なる人同士のコミュニケーションを促進する能力が求められることにも変わりはありませんね。日本、いや、全人類を代表してISSで宇宙開発の重役を担った偉人からの言葉には聞こえませんが、こういった謙虚な姿勢もまた、他の誰でもなく、若田さんがリーダーとしてふさわしいという証ではないでしょうか。

最後に

長々と語ってしまいましたが、宇宙での異文化コミュニケーション力の重要性を感じていただけたでしょうか?

宇宙から帰還した若田さんのような宇宙飛行士がダイバーシティマネジメントの研修を行ったり、企業がグローバルリーダー研修を立ち上げるにあたり宇宙飛行士の経験や彼らに求められる資質を参考にしたりと、宇宙開発の成果は様々な場面で応用されています。宇宙に留まらず、文化を超えたコミュニケーション能力が求められる環境は他にもたくさん潜んでいるのではないでしょうか。実際に私自身が思いもしなかった「宇宙」という場所に潜む異文化理解のあり方に目をむけたことで、多くの学びを得ることができました。このブログを最後まで読んでくださった皆さんも、あらゆる場面における異文化コミュニケーションを探究してみてください!

S.Y. (Student Staff Leader)

この一年を振りかえって

こんにちは!ICC学生スタッフリーダーのM.L.です。早稲田に入学してもう1年半が経ちましたでした!!時間が経つのは本当にあっという間で、ICCイベントの企画や運営、ボランティア活動、インターンシップ、就活、修士論文の準備などを色々経験しました。これらの経験を振り返った今、私は気付いたことがいくつかあり、皆さんとシェアしたいと思います。

それは何事もあきらめる前に努力を続ければできるということです!これも私が生きていく上で大切にしていることです。誰でも順調満帆の人生を持っているとは限りません。何かを成し遂げるためには、窮地に直面することも多々あります。困難を解決するにあたって、やり抜くことより簡単に諦める方が容易ですが、諦める前に、「私はもう無理なのか?」、「まだやれることがないなのか?」、「諦めた後に、私は後悔しないか?」って自分に一度聞いてみて下さい。もう少し頑張れると、できるようになるかもしれません。

去年の夏休みに、私は大手広告代理店のワークショップに参加し、2ヶ月間ほど広告代理店の課題に苦戦しました。15人の参加者にの中で、外国人は私しかいませんでした。講義を初めて受ける時に、いきなり個人ワークになり、課題分析や自分のアイデアについて2分間のプレゼンテーションをするように言われました。その時に、周りに座っている社員の皆さんは有名なC Mを制作した経験を持ち、学生を見極めていました。彼らの前にプレゼンテーションをするのはめっちゃくちゃ緊張しましたが、何となく論理性を持って自分の思いを伝えました。後の講義はさらに難しくて、常にコピーライターの立場に立って、日本人学生と一緒にキャンペーンのキャッチコピーを考えました。私は日本語母語話者ではないですが、広告に使用する文言を考え、様々な文案を作成しました。今振り返っても、本当に不思議な体験でした。自分が体験したことが世界に飛び込む感覚でした。
グループワークをしている中で、「私が本当にできるのか?」、「最終発表の発言機会を誰かに譲ろうかな。」というネガティブな思いが生じてしまいました。しかし、自分自身の心の声を聞いて、今諦めると必ず悔しい気持ちになり、むしろ最後まで頑張った方がいいと思いました。このモチベーションを持って、私は最終発表までやり抜き、会社役員の方々の前で10分間ほどのプレゼンテーションを行い、チームメンバーと一緒に優勝をすることができました。これまでの大学生活の中で最高に熱く、最高に充実した奇跡の2ヶ月間だったと今でも思います。私はこの経験から、困難から学びを得て、最後までやり抜くことの大切さを実感しました。これからも、気付いたことを生かして、早稲田大学で学んでいきたいと思います。

今年は新型コロナの影響ににより、大学の授業がオンラインとなり、就活環境も激変してきました。私たちの学生生活にも大き影響を与えました。海外から日本に戻れない学生もいるし、自宅に孤立している学生もいます。どこにも遊びに行けなかったり、暗いニュースばかりで気が滅入ってしまっている人もいると思います。今が前例がないほど困難な時期であることは間違いないと思いますが、私たちは” 心”の元気を失っていけません。春は必ず来る!そう信じて、今の困難を乗り越えて一緒に最後まで頑張りましょう!

M.L. (Student Staff Leader)

山陰旅行記・島根

日本に来た留学生の私は、東京で既に四年間生活し、モダンな日本を日々感じてきた。しかし、実は、最初に日本に興味を持つようになったきっかけは、日本のおしゃれなファッションでもなく、世界的にポピュラーなアニメと漫画でもなかった。伝統的な日本、すなわち、和の文化だった。その「和」を満喫したく、一学期で溜まっていた疲れを癒すため、私は、この春休みの二月にイタリアからの気のおけない友人と二人で山陰地方に足を向けた。
まずは飛行機で広島に行き、広島からバスで島根県の松江に着いた。その日は小降りの雨で、松江には、薄霧がかかっていた。バスから降りて間もなく宍道湖に向かった。小雨の中、荷物を背負って、足早に急いでいた私達は、夕日を見たかった。
湿った髪の毛が巻けるのを感じた時、宍道湖が見え始めた。夕暮れの時間に間に合ったとはいえ、雨天のせいだったろうか、いつも写真で見るような金色の光に火を放たれたような湖面ではなかった。代わりに、雨雲が太陽を隠し、宍道湖全体を黒っぽいブルーに染めていた。木のベンチに座り、嫁ヶ島を眺めた。この島は大昔に宍道湖で溺れた若嫁の忘れ形見だと言われている。彼女は姑にいじめられ、冬の夜に実家に帰ろうとした。一刻も早く家に帰るために、凍った湖上を歩いた。しかし氷が割れ、彼女は寒い湖の中へ沈んでいった。湖の神様は彼女のことを哀れみ、島として浮かび上がらせた。これは伝説だが、実際、宍道湖近辺に子供や漁民の水難事件が多発していたという。多分、若嫁が溺れて亡くなったのも、本当にあったことかもしれない。多くの命がここで失われたことを考えると、この紺青色の湖と空に、細やかな冷雨はまさに神様が悼んでいる光景ではないかと思った。こうして、しばらくの間、メランコリーに浸っていた。

松江・宍道湖と嫁が島▲

暗くなり、駅へ足を運び、晩御飯を食べに行った。松江駅近くの地元のレストランで、とても美味しい郷土料理をいただいた。口の中で溶けそうな食感を持つ柔らかいお刺身、鮮度抜群の生岩牡蠣、うま味たっぷりの宍道湖しじみに、またうま味に富んだ地酒が、舌先で絶妙なシンフォニーを奏でた。
食後はホテルにチェックインし、一晩、ぐっくり眠れた。
次の日は朝8時に起き、直ちに松江城に出向いた。二日目は快晴で温かかった。サングラスをかけ、歩幅は大きく。城下町に入ると、堀に沿う道、武家屋敷や「怪談」を著した大文豪・小泉八雲の旧居などが目に入り、濃密な歴史の微風が顔を撫でてくるように心を静めてくれた。階段をどんどん登っていくと、体が受信機のように何かを感知した。来た、次だ!次の角を曲がると、国宝の松江城の天守閣がそこに聳え立っていた。ラフな石垣、優雅な瓦、美しい!外国人のため、チケットを半額にしてもらえた。入口で靴を脱ぎ、登閣。日差しがあまり入らないので、木の床が氷のように冷たかった。スリッパを取り忘れた私達は、足から伝わってくる寒気をじんわりと感じた。それでも、頑張って松江城の内部を探索。そして、上に登っていった。最上階では、再び暖かい光に体を巻きつけられた。温められた木の床に、足をくっつけ、松江市を見下ろした。右手を眉毛のところにかけ、目線を遠くへ射、また嫁ヶ島が目に入った。その島は今明るい日差しに浴び、周りの湖面は生きているかのように煌めき、後ろの山々は幻の布を身に纏っていた。現実か、夢の世界のようだった。

松江・城下町▲

松江・小泉八雲旧居▲

松江・松江城▲

松江城・最上階から見下ろす筆者▲

その後はカレーのランチを食べ、城下町を少々散策。そして、出雲市にむかう電車に乗った。宍道湖の北か南かを沿うように路線は二つに分かれる。どちらの鉄道も宍道湖の輪郭を描いている。乗客が少ないため、気軽に電車内で歩いたり、外の美しい自然風景を思う存分楽しめた。
終点の出雲大社前に着いた。穏やかな空気が漂い、レトロな建築。国の登録有形文化財でもあるその駅に一目惚れ、そこで一休みをした。駅から出ると、「異国情緒」溢れて見える街並みに驚いた。
「これ日本らしく感じないのだけど」
「いや、むしろ、日本っぽいと思うよ。太古の日本っぽい。」
と友達が答えた。
太古の日本は大げさな言い方だと思うが、出雲大社に向かう真っ直ぐな上り坂、道端に守護神のようなプライド高き黒松にアスファルトと車、唯一無二の風景が目に映っていた。その風景を堪能しながら、出雲大社へ向かった。
手を繋ぐ楽しそうなカップル、笑い合う若い女性達、ベンチに座っているお年寄り、自転車に乗っている子供達。午後の陽は力強く世界を黄金色に染めあげた。
神社の正面入口にある「勢溜の大鳥居」にやっと着いた。他の方が敬虔に鳥居に対してお辞儀をするのを見かけ、慌ててお辞儀をし、鳥居をくぐった     。そして振り向き、鳥居を通して来た道を眺めた。

出雲大社・勢溜の大鳥居▲

凄い。下り坂が遠方まで続き、その終わりと思われるところに巨大な白い鳥居が立っている。しかも、目の前の勢溜の大鳥居と相呼応しているかのように一直線である。実は、出雲大社は合計四つの鳥居があり、それぞれ石、木、鉄、銅と違う素材で作られている。全部くぐると幸せのご縁が早く来るらしい。

出雲大社・遠くにある白い鳥居と相呼応▲

出雲大社の内部へ進むと、鯉が泳いでいる池、そして細長い川が流れる橋、道端で飾られている灯籠、樹齢400年を超える並木、さらに右方の芝生で戯れるウサギの石像が次々と目に入り、この神社の歴史、物語と平和を語ってくれた。拝殿に着いた時、心は止まった水に波紋を起こしたように、感動した。青色瓦、伝統的な木造、そして太い大しめ縄。出雲大社だ!大国主神が宿り、唯一「大社」と名乗るこの神社は、想像よりも大きかった。八雲山を背にして、左右と前には川が流れて、神聖な雰囲気を感じる。おみくじを買い、神様に吉凶を占って頂いた。

出雲大社・拝殿▲

出雲大社から、稲佐の浜へ、夕日を見にいった。稲佐の浜は大社の西方向にあり、徒歩で20分くらいの距離だ。海と砂、ラッキーなことに夕日も綺麗だった。砂浜の上巨大な岩が聳え立ち、更に、岩の上に鳥居がある。現在は、その岩はほとんどの時間完全に砂浜の上にあるが、もともとは島だったようだ。古くは「沖御前」という名前であったことからも沖にあったことが伺い知れる。近年、砂が急に堆積したそうだ。
なお、日本全国では旧暦10月を神無月というが、出雲地域だけは、神無月と逆に、旧暦10月を神在月という。少し想像したら分かるかもしれないが、日本全国の神様は旧暦10月に出雲に集まるからだ。稲佐の浜はまさに神様達が出雲に上陸する場所でもあるのだ。稲佐の浜から出雲大社へ神様達が移動し、人々の「幸せ」のご縁について相談すると聞いた。出雲は、さすがに神々の国、ご縁の国だ。

出雲・稲佐の浜▲

日が完全に沈むまでずっとそこにいた。その後は駅近くで晩御飯を食べて、松江に戻り、一日を終えた。
三日目は夜に鳥取に向かうために朝早めに起きて、ホテルをチェックアウトし、松江にいる最後の時間を存分に楽しもうと考えた。まだ行きたいところは沢山あったが、時間が限られていたので、念頭にあった八重垣神社と月照寺に行った。最初は八重垣神社だ。
八重垣神社は松江の中心部よりすこし離れているが、ホテルからバスで40分で直結しているためアクセスは便利だった。また、中心部より離れていると言っても、人は結構多かった。スタンプ帳に楽しそうに神社の新しいスタンプを押す人を見かけ、いいなと思った。神社巡り、そしてその神社特有のスタンプを押してもらう。それが旅行の記憶にもなり、何かを集め、何かを達成する欲望をも満たしてくれるのであろう。提灯が昼間にも関わらず光っていた。拝殿はシンプルだがこぢんまりしていた。そこに、厳粛な感じを受けた。拝殿右側にある神札授与所で御神籤を買った。ここの御神籤は他の神社と異なり、ほぼ白紙だった。神様に占って頂きたいのに、どうして白紙なのだろう。その謎を抱えながら、「御神籤」の紙をもって、拝殿左側奥に進んでいった。橋を渡り、梅が綺麗に咲いていた。隣の見ず知らずの女性のグループは梅に惹かれたようで、一人の女性がカメラを持って梅に近づき、写真を撮りに行きながら、友達に「花を撮っている私を撮って」と告げていた。私もつられて、そんな彼女の姿を撮った。更に前に進み、妙に人が集まっていた。

八重垣神社・梅撮りの女子▲

そこには綺麗な池があった。鏡池と言い、稲作を司る女神、稲田姫が鏡として使われていたそうだ。白紙の「御神籤」はここに来て初めて威力を現すのだ!なるほど、その御神籤にコインを乗せて、そのまま鏡池に入れると、占いの文字が現れた!そして、御神籤が早く沈んだら、良いご縁が早く来るらしく、近くで沈んだら、縁のある人が身近にいるという。鏡池に囲むみんなは、自分の御神籤が沈むのを楽しみにしながら待っていた。じっくりと御神籤を見ている人達は、まるで愛する人を見つめるような光景だった。ちなみに、私の御神籤はそう遠くには行かずに、実に早く沈んだ。

八重垣神社・拝殿▲

八重垣神社・鏡池▲

八重垣神社・占い▲

次に八重垣神社を出て、月照寺に向かった。松江城に戻り、そこからまたバスを乗り換える。松江城に着くと、雨が降り始め、「あ、アンラッキーだな」と心の中で唱えた。月照寺に行くために「ぐるっと松江レイクライン」に乗った。とてもデザインがかわいいバスで、有名な観光名所などを繋いでくれる。乗り放題の一日乗車券と二日乗車券も販売され、観光には、非常に便利だ。

ぐるっと松江レイクライン・車内▲

雨の中、月照寺に到着した。青苔に覆われた石畳は、湿っていたからさらに緑に見えた。書院の受付の方が大変親切で、外国人割引をして頂いた。簡単な案内を受け、月照寺を探索した。本当に大きなお寺だった。山と壁に囲まれ、静寂で雨の音しか聞こえなく、現代社会と切り離されているようだった。雨のおかげで、フレッシュな草や木の香りが漂い、脳にニコチンの何倍もの快楽感をもたらしてくれた。木造のお寺、石畳、竹林、そして雨が降っている古刹。松江旅行ではなく、時間旅行している錯覚をえた。あちこち歩いて、徳川家康の子孫でもある松江藩初代から九代までの藩主のお墓を拝観し、いろいろ興味深かく、充実した時間を過ごした。第六代藩主の廟所には、なぜか巨大な石碑が置かれている。更に不思議なことに、その石碑の台座は、度を越しているほどの巨大な亀の石像である。日本民俗学者の小泉八雲が著した『知られざる日本の面影』には、この亀にまつわる伝説が書かれている。月照寺の池に暮らしていた亀は夜になると、大きくなって城下町で人を食い殺していた。住職は、藩主の功績が彫り込まれた石碑を建てることでこの亀の行いを封印したとされている。今もその池には亀が暮らしている。この石亀の大きさを見てると、なんとなく背筋が伸びた気がした。ルートに沿ってぐるっと回って、また最初の書院のところに戻った。受付の方に書院の中にも案内いただき、椅子まで用意して頂いた。抹茶とお菓子をいただいた。外の庭園を眺めながら、雨粒の演奏のもと、美味しい一服となった。

月照寺・人喰い大亀▲

月照寺・書院からみる庭園▲

月照寺・抹茶とお菓子▲

月照寺・友人▲

とうとう月照寺にグッドバイをする。受付の方と気軽な会話をして分かったことは、雨の月照寺が有名だとのこと。その日はラッキーだった。梅雨の頃になるとアジサイが咲く、夏だったら池の蓮が綺麗等々。また違う季節にここに来たいと決めた。
松江駅で電車を待つ。島根の旅は終わりを告げた。まだまだリストにある沢山の行きたい場所には行けずじまいだったが、行けた場所はすべて素晴らしい思い出をくれた。またまた来るから。さて、次は鳥取に!

  Q.Z. (Student Staff Leader)

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