2010年5月 のアーカイブ

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新参者

某テレビ局で放映中のドラマ「新参者」は私の住む日本橋浜町や

隣町人形町が舞台。TVスクリーンに映る見慣れた風景を楽しんでいる。

 

放映前から、地元では撮影隊と人だかりを目撃していた。

撮影中なのか、「カメラでの撮影はご遠慮ください」とか

「立ち止まらないでください」などと叫ぶスタッフ。

説明もないので、何が起きているのか分からないままだった。

 

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小さい頃は~私とジブリ映画~

みなさん、ジブリといったら何を思いつきますか?

猫バス、トトロの森、キキとジジ、ナウシカ、カントリロードなど。。。

人によってそれぞれ違うと思います。

ある人はジブリの個性的なキャラクター、ある人は印象的なテーマソング、

ある人はきれいな絵のタッチを思いつくかもしれません。

 

私のジブリに対する思いといえば、

自分が生まれてきてから19年、常に近くにあり、欠かせない存在といえるでしょう。

まだ言葉もよくわからなかった時にはもう「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」、

「天空のラピュタ」などの名作に囲まれて育ったわけですから、

こんなに恵まれたことはありません。

 

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休日は奥多摩へ

この前のゴールデンウィークは快晴な日が続き、
出かけるのに絶好なチャンスでした。

しかし観光スポットは、どこもかしこも人の山です。

 

「人ごみを避け、ひとりぶらぶらの旅に出かけたい」

 

そんな場所を求めて、ネットで見つけたのが
「鳩ノ巣渓谷ハイキング」です。

鳩ノ巣渓谷は、東京の西方の奥多摩にあります。

渓谷の写真を一目見て、「ここだ!」と思いました。

 

そそり立つ岩壁、間を流れる澄みきった川、あたりを覆い尽くす森林。

写真に写る景色が、都心から電車に乗ってたった2時間の場所にあるのです。

 

翌日さっそく出発しました。

出発点の古里駅で下車すると、二人のおじさんがいます。

しきりに観光者に話しかけているので、「あやしい勧誘をしている人?」と警戒しました。

でも、付けてある名札をよく見ると、どうやら観光情報ガイドのボランティアのようです。

話してみると、おじさんたちは面白い上に親切。

「私たちは、ガイドの“迷人”ですよ」とギャグを交えながら、

ハイキングコースのことや眺めのいいスポットのことを教えてくれました。

プランを細かく立ててこなかった自分にとっては貴重な情報です。

 

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ICCで過ごした1週間

みなさん、こんにちは。

真冬のような寒さも落ち着いて、やっと初夏らしいさわやかな季節になってきましたね。

研修生としてICCでお世話になった一週間もあっという間でした。

この間、私は学生スタッフリーダー(SSL)のみなさんの机に混ぜてもらって、

一緒にお仕事を経験させていただきました(なんだか見慣れないスーツの人が

座っているな?と思われた方、それは私です)。

 

実は私は早稲田での学生生活を3年前に終えてから今年の3月まで海外に暮らし、

久しぶりの日本、久しぶりの早稲田でしたので、はたして今の学生さんと一緒に

お仕事できるかな、いやその前に、ちゃんとお話できるかな、と勝手にいろいろと

思いをめぐらせておりました。けれども、あれから1週間、それらは全くの杞憂に

過ぎませんでした。

 

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在日コリアンについて考えよう

幼いころから、我が家では韓国・朝鮮系の名前が日常的に会話に登場した。

「今日は金がさぁ・・・」とか、「朴がこんなこと言ってたよ・・・」とか。

 

地元・横浜の公立中学校で社会科を教える私の父は、人権教育、異文化理解教育や

外国籍の生徒たちの教育に力を入れている。なかでも、日韓・日朝史や在日問題に

関心を寄せ、2世・3世・4世の子どもたちが抱える問題、悩みと向き合ってきた。

そんな父の背中を見て育った私にとって、「韓国」はどこか親しみを覚える国となっていた。

 

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バングラデシュ-第二の祖国に想うこと

Milon10才のとき、父に「バングラデシュに引っ越すよ」といわれた。

「???」生まれて初めて耳にする国名に、

湧いてくるイメージなんてなにも無い。

今ほどインターネットは普及していなくて、

ガイドブックすら一冊も出版されていなかった当時、

この国の情報を入手することはほぼ不可能。

「へんな先入観をもってほしくない」

両親のそんな計らいもあって、

私は「???」のままバングラデシュに連れて行かれた。

 

そこは、別世界だった。横浜がこの世のすべてだと思い込んでいた私には、あまりにも

衝撃が強すぎて・・・「世界って広かったんだなぁ」と感じたことは、今でもはっきり

覚えている。

 

毎日、「早く日本に帰りたい」とばかり言っていたほかの日本人からは

ちょっと軽蔑されてしまうくらい、私の両親はバングラデシュが大好きで、

この国の人のことも信頼していたから、私と二人の弟はよく使用人さんに連れられて、

近所の空き地に遊びに行ったりもしていた。