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ICC ニュースレター Vol. 2

過去発行していたICCニュースレターを再録します。

Vol. 2. 2013年秋発行 Wasedaから世界へ 世界からWasedaへ

ICC ニュースレター Vol. 1

過去発行していたICCニュースレターを再録します。

Vol. 1. 2013年春発行 視野と輪と未来が広がる!

「ICC ドバイ・ナイト」企画秘話!!

先月22日に開催された「ICCドバイ・ナイト」。
このイベントの企画は、私にとって新たな試みを実践する場となりました。
そこで、企画の背景にある自分自身のストーリーやICCスタッフとしての広報戦略を少しだけ、お話しさせていただきたいと思います。

ドバイ・ナイト企画案ができるまで

去年の8月、蝉の声が体感湿度を30%増しにする日本の夏を心の隅っこに置いて、私は一週間程ドバイを旅行してきました。元々中東に興味があった訳でもなく、テレビのリゾート紹介番組を見てドバイの虜になった両親に連れられたのが事の発端でした。
ドバイとは、勘違いしている人も少なくはないのですが、国の名前ではなく、都市の名称です。。アラブ首長国連邦(UAE)の第二首都です。
高校一年生の頃、マルタ島行きのフライトを利用する際にドバイ空港で乗り継ぎ前の5時間を過ごしたことは覚えていました。空港内の圧倒的な規模感や清潔感、デザイン性の高さ、新しさを目の当たりにして、今まで中東に対して抱いていた、いささか寂れたエスニックのようなイメージを払拭させられました。
ドバイには現在、幾つもの「世界最高」が存在します。世界一高い高層ビルから世界一面積の広い人工島、世界一の店舗数を包括する世界最大のショッピングモールの中にある世界最大の水中トンネルを誇る水族館・・・ドバイでは飽きても呆れても「世界最高」というタイトルから逃れられません。この他にも、UAE政府は現在世界最高峰の技術や情報量を集結させた医療センターの建設、商業の要となる貿易センターの設置、観光業のさらなる促進を展開しています。UAEは単なる幸運で石油を発掘して「金持ち」になった国ではなく、石油による収入とその他の資源を効果的に駆使し、安定的な経済基盤を築き上げることに成功した、非常に戦略的な政治計画を持つ国家です。
私は現地を訪れて、食文化や建築のデザイン、興味深い社会的背景、イスラム教の寛容な精神に惹かれたのみでなく、このような国家としてのストラテジーそのものに感心するに至りました。そこで、ドバイから持ち帰った知見と、刺激的な体験をより多くの日本人学生および早大生に発信したいと考え、ドバイ・ナイトを企画しました。

ドバイ・ナイトに込めた私の「広報戦略」

私はICCの学生スタッフとして、以前からある「課題」に直面していました。ICCのイベントが十分に多くの学生、特に日本人学生に届いていないことです。早稲田大学には総計5万人以上の学生が在籍していて、私には、今よりもっと多くの人にICCを知ってもらう余地があると確信していました。そこで、どのようなイベントを企画し、どのように広報を働きかければより多くの学生に魅力を感じてもらえるのか考えました。その結果、まずイベントタイトルやポスターを幅広い年齢層に訴えかけられるようなスタイリッシュなスタイルに統一することに決めました。ドバイの未知なる現代都市感を醸し出すには最適でしたし、そこで人々から「エスニック文化の紹介なんだろうな」という視線を注がれる可能性を減少させました。勿論、民族文化の紹介に焦点を当てたイベントもあって良いと思うのですが、今回は観光・経済的な側面にイメージを絞ることによって来場者のターゲット層拡大を試みました。当日はドバイ政府観光局はじめ、UAE出身留学生、エミレーツ航空や株式会社エイチ・アイ・エスなどの企業や機関と協働でエンターテイメント性を高めつつ、ドバイの伝統文化から経済・商業面、食文化を体験してもらえるようなプログラムを進行させました。参加者数は300人を越え、ICCのカントリーフェスティバルの中では見たことがないほどの混雑ぶりで、お土産をもらえなかった人が想定以上だったことを含め残念な面もありましたが、それでも最後まで多くの人で会場が賑わっていて、企画者としてその光景を見るのは嬉しい限りでした。

今回のイベントにご協力・ご協賛いただいた団体の皆様には心より感謝しています。そして来場してくださった皆様にも、何か良い思い出を提供することが出来たのなら、企画した甲斐があると思っています。

今後もICCをよろしくお願いします!

 

R. T. (Student Staff Leader)

 

関連レポート

参加者レポート①

参加者レポート②

多様性に飛び込め

みなさん、こんにちは。
この秋から、ICCのSSL(学生スタッフリーダ―)の仲間入りをさせていただきました、K.M.です。

気づけば、もう年末、、、と感じている方も多いのではないでしょうか?
私にとっても大学に入学して、気づけばもう一年が経過しようとしていました。そんな時に初めてのICCのブログの執筆ということで、まず今回は異文化交流について、自分が特にこの一年間で経験し感じたことを簡単に書いていこうと思います。(書きたい内容は他にもたくさんありますが笑)

私はアメリカで生まれましたが、物心ついたころには東京に移り、それから今まで小中高と過ごしてきた東京人です。(なので出身を聞かれると、とりあえず東京と答えます笑)

しかしそんな私は現在、早稲田大学の国際学生寮WISHで暮らしているんです!
東京に実家があるのになぜ、わざわざ東京の寮に入るのか疑問に思う人も多いと思います。実際初対面の人には必ずと言っていいほど質問されます笑

理由はいたって簡単かつ明確。
WISHに入寮したきっかけは、出身地や学部関係なく、多様な価値観をもつ仲間と共に切磋琢磨する、そんな環境にチャレンジをしてみたかったからです。

WISH外観

WISHには現在、800人以上が住んでおりその約4割が20カ国・地域の外国人学生で、4人1部屋で共同生活を行います。
ルームメイトには必ず日本国籍以外の寮生が少なくとも1人は入るという設定もなされているのです。
私の場合は、同じフロアの韓国の留学生と仲が良かったため、夏休みには韓国の実家にホームステイに行かせてもらいました。

本場のサムギョプサルは絶品!笑

また、この寮独自で参加必修の「SI (Social Intelligence)プログラム」というグループワークを中心とするアクティビティが行われます。
課題解決や論理的思考能力の向上を目的としたもので、社会人の方をお呼びすることも多く、寮生と共に議論をしあったりする場は非常に刺激的です。

SIプログラムの様子

SIプログラムの様子

さらに、SIプログラムでの評価で寮内での成績優秀者に選ばれると、年に2回海外へ無料でインターンシップに参加させていただける機会もあります。
私はこんな素晴らしいチャンスを見逃すわけにはいかない、という思いで積極的にプログラムに参加しました笑
そして幸運にもアワード寮生に選抜され、現地でチームメイトとフィールドワークとプレゼンを行ってきました。
私が行かせていただいた際は栄光ゼミナールの海外インターン生として『ベトナムにマッチしたSTEM教育を特定せよ』という任務を言い渡され、5日間ベトナムに派遣されるものでした。
現地ではグループに分かれ、最終日の成果発表までに1からグループでフィールドワークのプランをねって調査を行いました。

聞き取り調査を行ったハノイ工科大学

成果発表プレゼンテーション

 

日本語はもちろん、英語も少ししか通じないなか、試行錯誤し仲間とともに困難を乗り越えた経験が特に強く印象に残っています。(もっと具体的に書きたいですが、またの機会に)

私はこの一年間の大学生活で経験してきたことを通じて、、、
決まり切った選択や安定のルートといった“既存の枠組み”が重要なのではなく自分の目的意識と自らチャンスをつかみ取るような積極性がより重要だと強く思うようになりました。
「異文化の中に飛び込む。」
最初は勇気がいることかもしれませんが、自分が思いもしなかったアイディアや世界観にふれることができるのではないでしょうか。
早稲田は特に留学生や日本各地からの学生が多く集う大学です。
知的好奇心を広げ、自由に追求することや、新たな挑戦をしたいという姿勢があれば、ICCの活動を含め、様々な角度からの情報を得るチャンスはあると思います。

集まった多種多様なバックグラウンドを持つ仲間とともに、今ある環境を最大限に活用して互いに成長しあえる場に変えるにはどうすればよいのか。
刺激的で互いに成長し合えるような場を作り上げていくことができるのか関心をもったことが私のICCに飛び込んだ理由でもあります。

今ある環境を土台に、いかに学生同士が意見交換・視野拡大に努め、反応しあえるかが課題だと感じています。現状のまま満足し過ごすのでなく、ICC学生リーダーを中心に学生が主体的に工夫点や改善点にコミットし続けることがより快適で、お互いに高め合うことのできる場を作り上げることに対し重要となってくると思っています。

多様なバックグラウンドもつICCの学生スタッフが,自ら主体的に創り上げるイベントをこれからもお楽しみに!
では。

K. M. (Student Staff Leader)

Exploring Korea without a passport in Tokyo

Meeting familiar signs, music and smells while walking the streets of Shin Okubo, I thought that I am back in the early 2000s of Korea. I have been to Korea Town in Chicago, New York, Los Angeles and Vietnam. However, the one in Tokyo is the most developed one throughout the world featuring the representative culture of Korea.

When Japanese think of Korean culture, the first to come out will be K-pop, delicious food and cosmetics. Today, I would like to explain the most satisfying places I have experienced in Shin Okubo as a Korean perspective.

 

First of all, the 韓国広場(kankoku hiroba), a Grocery store,  has almost everything you are looking for! Also, the price of the products are not that expensive compared to the same product’s price of Seoul. My recommendation from this supermarket is black bean soy milk. This can be a great alternative for breakfast especially if you have a lot of 1st period classes.

Next, the place where I want to introduce is ‘SKINGARDEN’. This shop is specializes in selling cosmetics for skin care products. There is not only one brand but also various brands to compare and choose for the best one for individual skin types. Since there are many reasonable Korean cosmetics, please do try!

More and more people around the world are having an interest in Korean culture due to K-drama and K-pop. Fashion, music, lifestyle reflected on K-contents are getting popular day by day. The ICC is also having a Korean lunch during the semester. If you are eager to learn more about Korean culture and practice Korean, please do come and join! If you are Korean, please share your cultural background and support the students who are having an interest in Korea! Looking forward to meeting you guys in the ICC lounge!

H. H. (Student Staff Leader)

A Message for “Supporters” from the ICC Student Staff (from the“ICC Thank You Party”) / ICC学生スタッフからサポーターの皆さんへのメッセージ(「サポーター慰労会」より)

Many of the ICC’s events are held successfully thanks to the volunteer students called “supporters”.
On December 12th, we held an ICC Thank You Party to express our appreciation to the supporters who helped with our events during this semester. Below are the speech made by one of the ICC student staff at the end of the party.

ICC will call for supporters for various events again in the spring semester.
We hope you come and join us as supporters!

ICCのイベントの多くが「サポーター」と呼ばれるボランティア学生の皆さんに支えられています。
去る12月12日、サポーターの皆さんへの感謝をお伝えする趣旨で「サポーター慰労会」を開催しました。
以下はその際にICCの学生スタッフ1名がサポーターの皆さんに対して行ったスピーチです。

春学期も数多くのイベントでサポーターを募集する予定です。
たくさんのご応募お待ちしています。

***********************************
改めまして、今日は忙しい時期にも関わらず足を運んで下さってありがとうございました。
一年の最後に皆さんの顔を見ることができて、本当に嬉しく思います。

少し個人的な話をさせていただくと、私は2014年にサポーターとしてICCに関わり始め、2015年から学生スタッフとしてICCで働いています。
この3年間で、卒業や留学で早稲田を離れる人がいたり、毎年新入生が入ってきたりと、ICCに足を運んで下さる方の顔ぶれは大きく変わりました。
私自身も、就職活動のために半年間ICCから離れた時期もありました。
そんな中で実感しているのは、忙しい学生生活のなか、ICCにコミットして下さっているサポーターさん一人ひとりの存在の大きさです。
ランチイベントやぺらぺらクラブのような定番イベントであっても、前の学期にサポーターをして下さった方がまた次の学期もサポーターをできるとは限らないですし、カントリーフェスタのように新たに協力して下さる方がいるから成り立つイベントも沢山あります。

ここにいらっしゃる皆さんは、先ほど自己紹介をして下さったように、様々なイベントで、それぞれが違った形でICCに関わって下さっています。
何か新しいことをやってみたい、不安だけど挑戦してみたいという気持ちで勇気を出して応募して下さった方もいれば、勉強や就職活動で忙しいなか、時間を見つけて協力して下さった方もいます。
そんな皆さん一人ひとりの気持ちや行動が、ICCの活動を支えて下さっています。心から感謝申し上げます。

最後にお伝えしたいのは、ICCは皆さん一人ひとりの個性を必要としているということです。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、今年からICCの日本語名称は「国際コミュニティセンター」から「異文化交流センター」へと変わりました。これは、もはや日本人・外国人の間の国際交流という枠に留まらず、一人ひとりのもつ多様な異文化の交わるセンターを目指していくという意味だと解釈しています。
もしかすると、皆さんの周りには「国際交流って自分には関係ないな」と思っている友人の方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではなくて、すべての早大生が個性を発揮して交流できる場となるよう、サポーターの皆さんと力を合わせて目指していきたいと思っていますので、これからもICCに関わって下さると嬉しいです。
今学期は本当にありがとうございました。

人間のロボット化

小さい頃、よく図鑑を眺めていたことを覚えている。「共働き家庭の一人っ子」という現代日本のスタンダードというべき環境で育った私は、本の虫になっていた。その中でも生物図鑑がお気に入りで、古代恐竜のページや人類の進化について書かれている項目が好きだった。他の生物と比べて非力である人類は生存するために知能を発達させ、そして集団で行動することを覚えた。知能の発達によって人類は食物連鎖の頂点に上り詰めた現在、私たちは知の功罪と直面している。

あなたは、日常生活に違和感を覚えることはないだろうか。たとえば朝の通勤時間である。イヤホンをして音楽を聴いている人は自分の世界に入っているし、SNSを通じた会話はしても、隣の席に座っている人とは一言も口を利かない。学校や会社で自らをすり減らし、郊外にある自宅に戻って疲れが癒え切らないうちに、また出かける。休むといいながらも、仕事のない日こそ家族サービスや私的な用事を済ませるなど、やることは山のようにある。財を生産し、それをサービスや物で消費する現代社会の在り方に疲れてしまう人が後を絶たない。知能の発達は技術革新をもたらし、確かに人類の生活は豊かになったが、利便性と効率性を求める社会形式が人類にとって幸せだろうか。行き過ぎた進化は人類を破滅の道へと追い込んでいく。

 

レイ・カーツワイルが「The Singularity Is Near」の中で予測した技術的特異点は2045年から2030年に早まると提唱する学者が増えてきた。数十年後には、人類の一割だけが働き、残りの人々は国からの基礎給付金と配給によって生活しているだろうと早稲田大学の教授が書かれた論文も目にしたことがある。第一次産業は機械に取って代わられること必至で、人類は機械との戦力競争で勝ち目がない。AIの発展によって、思考を持つ機械にも最低限度の権利を保障するべきだという「ロボット倫理学」なども生まれている。これらの事実が我々に過度な仕事を強制し、自らの存在価値に疑問を抱かせるのだ。しかし、機械に立場を奪われないようにしようとする人間の努力は、基本的な対人コミュニケーションや「こころ」を形骸化させ、皮肉にも彼ら自身をロボットに近づけてきた。機械の台頭が進む中で人類が差別化を図るために、どのようなことができるだろうか。

 

 

ICCで働き出してから、以前にも増して早稲田大学は多様性に富んだ大学だと感じる。これは国際色に限った話ではない。珠算オリンピック出場者やフィンスイミング日本代表のような一芸に秀でた人、サークル活動に全力で取り組んでいる人、国家試験に向けてひたむきに勉強している人など、周りを見渡せば多種多様な才能が世界各地から集まっている。そのような環境に置かれた私は、自分の将来についてこれまで以上に深く考えるようになった。東大卒の半分が失業する時代、機械が人類の生産性を上回る時代に「どう生きていくか」という選択が迫られている。どれだけAIが発達しても人間が持つ「こころ」を完全に再現することはできない。機械は人間のように「生み出す」ことはできない。すなわち私たちはホスピタリティ、そしてクリエイティビティという点で機械に勝ることができるのだ。これを踏まえて、数年先の自分に思いを馳せる――。私は決して消費の道具ではない。私は仕事をこなすようにプログラミングされたロボットではない。あなたは人間ですか、それともロボットですか?

 

M. U. (Student Staff Leader)

三浦半島

皆さんこんにちは!もうあっという間に年末ですね。皆さんスケジュールはばっちりですか?
ICC も今学期の多くのイベントが終了し、ちょっぴりホリデイ気分ですが、ラウンジはまだまだオープンしていますし、残っているイベントもありますのでお気軽に遊びに来てくださいね!冬季休業中も開室してお待ちしています!!

さあ、今回のブログでは最近私が訪ねた横須賀と三浦について書きたいと思います!皆さん横須賀に行ったことはありますか?どこにあるのかご存知ですか?

横須賀と三浦はここ!神奈川県の下の方にあります!

 

神奈川県というと東京のすぐ下にあって横浜もあって都会!というイメージが強いかと思います。私もそのようなイメージを持っていた1人でした。なので今回横須賀と三浦を訪れてその予想外の自然の豊かさに本当に驚きました!
私は京急川崎駅から京浜急行線の終点、三崎口駅まで乗車したのですが、まず車内から見える街並みの変化も見ていても面白かったですし、さらに終点に近づくと海もちらほら見えてきて、その時から同じ神奈川にも色んな景色があるのだなとなんだか感動し始めていました。そしていざ終点三崎口駅で降りてそこから目的地目指してバスに乗ると、程なくして道の両脇に畑が広がり始めました!

私の祖父母の家は岩手県にあるのですが、この景色はどこか祖父母の家を思い出させるようなものでした。東京からそう遠くない所にこのような自然が感じられる場所があるのは良いものですね。私は今回行けなかったのですが、三浦半島にはフォトジェニックなスポットもたくさんあるようですよ!

また私は今回直売所にもうかがったのですが、地元の新鮮なお野菜や、お魚、お肉が沢山販売されていました。地元の特産の葉山牛を使用したメンチコロッケをいただきましたが、ジューシーで本当においしかったです。三浦半島と言えば、マグロも有名ですのでマグロなどの海鮮系を目当てにこの地域を訪れるのもありですね。江の島あたりはシラスなどの海鮮が有名で遊びに行く人も多いかと思いますが、この地域の海鮮のほうが安くておいしくてお得だ!と直売所の方もおっしゃっていました(笑)

横須賀・三浦と同じように神奈川県の下のほう、三浦半島に近い鎌倉などは皆さん訪れたことがある人も多いかと思いますが、鎌倉と横須賀・三浦はそこまで離れていないので、ちょっとした小旅行をしてみたいと思っている方にこの三浦半島は本当におすすめです!
ぜひ一度訪れてみて下さい。

 

A. S. (Student Staff Leader)

他人と比較せず、対自分で判断し、自分だけの“生きる意味”を見つけてほしい

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2013年7月29日公開)

株式会社 マザーハウス 代表取締役兼チーフデザイナー
山口 絵理子

© Takahiro Igarashi(520)

1981年埼玉県生まれ。小学校時代にいじめに遭い不登校となる。中学時代はその反動で非行に走るが、柔道に出会い更生。埼玉県立大宮工業高等学校「男子」柔道部に唯一の女子部員として所属し、全日本ジュニアオリンピック第7位の成績を残す。2004年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。三井物産株式会社のダッカ事務所でインターンシップを経験。2006年株式会社マザーハウスを設立。

米国でのインターンシップを経て強まった「途上国」への想い
どのような大学生活を過ごされましたか?

とにかく勉強をしていました。授業が難しかったので、ずっと図書館で授業の予習復習をしていて、基本的に一人ぼっちでしたね。それに、高校まで柔道漬けで、工業高校出身だし、「この人たちと対等に話していいのかな」というコンプレックスがありました。今思うと、もっと相談できる友人を作っておけばよかったなと思います。同じように大学で過ごしたゼミのメンバーたちと比べると、私は違和感があるものをなかなか受け入れられないタイプで、「なにか違うんじゃないかな」とか、「本当はこうなんじゃないかな」と思ったことは、実際に調べてみたり、見に行かないと気が済まないタイプでした。

4年生の時にワシントンにある米州開発銀行でインターンシップに参加されますが、そこではどのような経験をされましたか?

途上国に対して直接貢献できる仕事をしたいと思い志願したのですが、現地では最初から苦労の連続でした。決して英語が堪能ではなかったものの、それでも選考を通過し、晴れて行けることにはなったのですが、実際は電話を受けるにしても、会議で発言するにしても、とにかくすごく勇気が要りましたね。何をするにも人の倍くらいの時間がかかってしまっていたと思います。だけど、言葉を発してコミュニケーションをとらないと仕事は進まないし、英語に苦手意識を感じていちいち気にしていても仕方がないので、必要に迫られ、開き直ってやっていました。同じインターン生のアルゼンチン人とルームシェアをしていて、仕事以外の時間も日本語を話す機会がゼロだったので、帰国してから日本語が上手く出てこないほど朝から晩まで英語漬けでしたね。
米州開発銀行は中南米・カリブ海諸国の社会・経済発展の支援を目的にした、世界銀行に次ぐ規模の国際開発金融機関で、私はその中でも予算戦略本部に配属され、銀行全体の予算と、銀行内のプロジェクトへの予算の割り当てを上司と一緒に行いました。ただ、そういった業務を経験した後も「果たして自分たちの支援が現地に届いているのか」が、わからなかったんです。もしかしたら自分にはその実感がないだけで、本当は届いているかもしれないとも思ったけれど、自信がありませんでした。その小さな疑問は、どんどん大きくなり、雇用契約が切れる間際に「自分の将来の進路を決める前に、途上国への援助が役に立っているのか、自分の目で見てみなければいけない」ということだけは確かだろうと思いました。そしてインターン終了後、「アジア 最貧国」で検索して出てきたバングラデシュに、ワシントンから直接向かいました。

現地での援助の効果を知りたいという目的で訪れたバングラデシュで、大学院まで進学されたのはどうしてですか?

はじめは短期滞在のつもりだったのですが、簡単には答えが見つからず、滞在するにつれて「私にはもっと現地を見て、現状を知る時間が必要だな」と思いました。調べてみると、教育ビザを取得すれば現地に2年間滞在できることが分かりました。それで、BRAC大学院というバングラデシュで一番大きいNGOが運営している私立の大学院の開発学部に興味を持って、試験を受け、進学を決めました。
専攻の開発経済学の授業では、NGOや国際機関から派遣された先生たちから、援助とは何かを教わりました。現地で学んでみてわかりましたが、基本的に途上国の教育というのは20年くらい遅れているんですよね。教科書も内容の古いものを使っていて、パソコンは10台くらいしかないし、試験も「テスト範囲は教科書全部だから丸暗記してきなさい」というものでしたから、学んだ内容自体には正直あまり意味を感じられませんでした。最新の情報に基づいた教育という意味では先進国の大学院の質とは比べ物にならないですね。
大学院の授業は18時からだったので、夕方まで三井物産のダッカ事務所でインターンシップをしていましたが、そちらの方がもしかしたらためになったかもしれないです。たとえそれが単純な事務作業であっても、三井物産の方と何か一つの仕事を一緒にやり、色々な工場を見ることができましたし、何よりインターンシップの一環で訪れた現地の展示会で、ジュート(※)という素材に出会えたのが人生の転機になりました。
※麻の一種で、処理する際100%土に還るエコフレンドリーなバングラデシュ特産の繊維素材。主に、じゃがいもやコーヒー豆を入れる袋として使用される。

他人との比較や競争ではなく、自分らしい仕事をやっていこう
大学院を卒業して、現地で起業をするという決断をされるまで、悩みや葛藤はありましたか?

バングラデシュに行ってからジュートに出会うまでの一年半くらいは、米国でのインターン時代に抱いた「途上国への援助が役に立っているのか」という問題意識に対する答えが見つからずに悶々としていた時期で、自分の気持ちが固まらないまま他の学生と同じように就職活動もしていました。けれどジュートに出会ってからは、「この素材で、何か人々のイメージを覆すようなものができるんじゃないか」という想いが強くなり、やがて「今はただの麻袋でしかないこのジュートを、もっと付加価値を付けたファッションバッグにしたい!」という目標ができました。それからはまったく悩むことはありませんでしたね。「これしかない」と思い、もう突っ走るだけだった気がします。両親や教授も含めて、誰かに相談する意味もあまり感じなかった。迷いがあったら相談したかもしれないけど、相談して意志が変わるというレベルではなかったです。

© Takahiro Igarashi(520) 直営工場マトリゴールにて

起業後に「こういうことをやっているんだ」、「こういう夢があるんだ」っていうのは、周囲に伝えていましたが、返ってくる答えは「絶対不可能、無理だよ」、「もっと考えなさい」というネガティブなものばかりだったので、途中からそういう言葉の引力に引きずられないよう、周りに意見を求めるのをやめました。
事業が成功するかどうかや、失敗したらどうするかなども考えませんでした。「このゴワゴワしている麻袋がどうやったら可愛くなるかな」、「そうなったら本当に素敵だな」という想いが私の思考を支配していて、そのための方法を考えるだけでもう精一杯でした。
日本に帰ってきてから自分の起業話をすると、とても大きいことをしているかのように捉えられるんですけど、バングラデシュにいたらもっと大変なことがたくさんあるし、もっと懸命に仕事をしている人ばかりで、私自身そういう認識はありませんでした。本当に底辺の生活の中に二年間もいたので、自分が偉大なことをしているという意識はなかったんです。日本に帰ってきてメディアの人たちと接して、日本ではこれだけ価値のあるストーリーなんだと初めて知ったんです。

現地では文化的に違うこともたくさんあると思いますが、どのような点に苦労されましたか?

始めは、洪水やテロなど不自由な中でもきちんと生活していくという、現地の人にとっては当たり前のことが自分にとってはハードルが高く、大変でした。現在も日本の本社と現地工場を往復する生活をしていますが、現地で生活する中で苦労がない時はなく、常に色々なことが起こります。むしろ日本は特別だと思うようになりましたね。あらゆる面でこんなにも恵まれ、リラックスして街を歩ける方が特殊で、日常生活に危険がつきまとっている国や地域の方が普通だと思います。
起業してからは特に大変なことだらけでした。汚職率世界1位のバングラデシュでは、一市民でも日常のあらゆることに賄賂を要求されます。また、バングラデシュで一から土地を捜し歩きやっと立ち上げた工場で、作業中にパスポートを盗まれたり、ある日工場に行ってみたら、人もおらずモノも全てなくなっていたり…。大変な生活だったけれど、そのような、裏切られたり騙されたりしなければいけない生活を強いられているんだなと少しずつ理解するようになりました。もしその都度感情的になっていたら、途中で挫折していたかもしれないです。

© Takahiro Igarashi(520)

現地の工場を運営するのも、最初はもう失敗だらけで・・・たとえばバングラデシュは「相手のプライドを傷付けたら何も動かない国」だと思います。一方的に怒ったり、指示をしたり、或いは相手の権利に乗っかって何かを動かそうとすると、全然動きませんでしたね。生産を始めた当初、みんなの作業が遅くて、とにかく毎日怒ってばかりでした。しかし、そういう進め方をすると、さらに納期が遅れて、何も進まなくなったんです。そこで、うまくできた時には相手を褒めちぎるようにしたところ、みるみる内に作業がはかどるようになりました。彼らはすごく自尊心やプライドが高いので、むしろそこと調和するような形で指示を出していかないと難しい。何度も何度もそういった失敗をして、だんだんわかってきました。

バングラデシュに渡る前と後で、ご自身にどのような変化がありましたか?

大学四年生時の自分は、周りのみんなが就職活動をしてすごく良い会社に決まっていく中、私は本当にバングラデシュにいていいのかなとか、色々なことを誰かと比べて考えていたし、ジュートで鞄作りを始めた頃なんて、「この世界で2位になったらだめだ、1位でなければだめなんだ」という想いで、365日過ごしていました。でも、バングラデシュで生活していく中で、「自分が死ぬ時、誰かと比べて勝っていたら幸せに死ねるかって言ったらそれは絶対に違う。自分のやり遂げたいことをやり切ったから幸せに死ねるんだ。それって対自分でしかないじゃん」と思うようになりました。バングラデシュで洪水が起きると、何千人もの人が犠牲になります。実際に目の前で死んでいく人達を何度も見ました。そして、彼らを見て思ったんです。「彼らは隣の家より貧しかったと悔しがりながら死んでいるか」と。そういう本質のところをずっと問い続けてきて、自分との対話の先にあったのが、「もし何十年か後に、このマザーハウスが何十万円しか売り上げのない、ちっちゃなちっちゃなネットショップになってしまったとしても私はやっていこう」、「これこそ自分らしい仕事だ、誰にバカにされようともやっていこう」という強い思いでした。以来、「誰かと比較してどうのこうのっていうところで生きるのは嫌だな」と感じています。

米国でのインターンシップを経て強まった「途上国」への想い
自分の進むべき道を見つけるために、学生時代に学んでおくべきことは何でしょうか?

それぞれの価値観で考えて、自分にとって幸せだと思えることが見つかれば、それでいいと思います。それはもう、百人に百通りの選択肢があるので、何が正しいのかというのは自分で見つければいいと思います。
私の場合は、バングラデシュに行って、自分の「生きる意味」を見つけることができたので、それをやり続けるのが私なりの幸せの価値基準であり、大変だからって簡単にやめられるものではないんです。

© Takahiro Igarashi(520)  マトリゴールのスタッフたち

また、経営などの知識ももちろん必要だと思いますが、一番必要なのはビジョンですよね。それに、やりながら身に付く力やスピードの方が圧倒的なものがあると思います。私自身バッグを作ったことも経営を学んだこともなかったのですが、実際に作ってみると、「こういうふうにして、いろんな経費がかかるんだ。だから月の売り上げがいくら必要なんだな。そしたら最低これくらいは売らなければならないんだ…」と学んでいくわけです。こうやって体で覚えてやってきたので、今でも本はほとんど読まないですね。たまにあらためて工場運営の本を読んだりして、「あ、これやったことあるな」って振り返ることはありますが、それくらいです。新聞も読まないですよ、経営者なのに(笑)
マザーハウスは、大企業と戦って何とかやっていこうという方針ではなくて、むしろ会議では「それってマザーハウスしかできないことなの?」、「それってうちがやらなきゃいけないのかな」って6年間ずっとずっと言っています。それはつまりは、他の人がやっていないことをやることになるので、本には絶対書いてない。だから自分たちの頭を使わなければならない。すべてオリジナルなことをやりたいのであれば、もしかしたら答えは本じゃなく、自分の頭の中の創意工夫とかクリエイティビティから出てくるのだと思います。

最後に、学生にメッセージをお願いします。

マザーハウスが受け入れているインターンシップ生や新入社員の面接をしていて思うのは、「“答え”というものはそんなに早く出ない、結論を急ぎすぎていていないかな」ということです。急いで出した答えでは、それに向かって頑張ったとしても、ずっと続けてはいけないかもしれないし、一つのことも極められないと思いますね。私はこの7年間、デザイナーをやって、経営者をやって、それでもまだまだ何も見えてきていません。10年続けて何か見えたらいいなって、それくらいに思ってるんです。それなのに今の子たちって、店舗に1年立ったらお店のことが分かるって思っているんですよね。
「自分が本当にやりたいことを見つける」という作業は、本来はものすごく時間がかかるはずなんですよ。大学にいる4年間に見つけられたら本当にラッキーだし、それ以降もきっと見つめ続け、探し続けていくものだと思うんですね。その作業ってすごく面倒だけれど、あきらめずに続けて欲しいなと思います。日本は誘惑がすごくたくさんあるけれども、日記を書いて自分と向き合ったり、本当にこれやりたかった?と自分自身に問いかける作業は、面倒がらずにやって欲しいなと思います。

編集後記

「生きる意味」を見つけ、それに人生を賭けて取り組んでおられる山口さんの表情や言葉には全く迷いがなく、決意の強さをうかがい知りました。また、「比較対象は自分」という山口さん独自の価値観には、勝ち負けという尺度に囚われがちな思考から自由になれるように感じました。
「何のために学び、何のために生きるのか」という問いかけは、何歳になっても、人生に行き詰った時、進むべき道を照らし出す明かりになることと思います。自分で切り開いた道を前へ前へと進む山口さんの背中が、今はとても遠くに見えますが、私も、問いに対する「答え」にいつかたどり着けるよう、そこへ続く道を一歩一歩前に進んでいきたいです。

R. T.(商学部4年)

多様性を受容しつつ、自社の価値観を伝達・浸透できる人、それが企業におけるグローバル・リーダー

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2014年1月30日公開)

アスパイア・インテリジェンス社 代表取締役
リップシャッツ 信元 夏代

早稲田大学商学部卒業。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスにて経営学修士(MBA)取得。早稲田大学在学中にはミズーリ州セントルイス市のワシントン大学へフルスカラシップ奨学生として1年間交換留学。1995年に渡米後、伊藤忠インターナショナル・インク、マッキンゼー・アンド・カンパニー、Eisner LLP を経て、2004年にアスパイア・インテリジェンス社を設立。「戦略コンサルティング」や「組織開発コンサルティング」のサービスを提供し、ブランドとビジネスの戦略設計   と実現に寄与。

留学経験のある友達を見て、かっこいいと思った
留学したいと考えたのは、いつ頃でしたか?

多分、高校生の時だったと思います。中高一貫の女子校に通っていたのですが、高校時代に留学をする友達が周りにいたんです。それで1年経って帰国すると、彼女たちがちょっとした時に、“Ouch!”とか言うんですよ。それを見て、かっこいいなと思って(笑)。また、もしかしたら、潜在的に父の影響で海外に興味を持っていたのかもしれません。父は自動車部品メーカーの創業者で海外を飛び回っていましたし、よく外国のおみやげを持って帰ってくれました。「海外は遠いものじゃない」という意識があったのかもしれません。でも高校生の時は、英語はあまりできないし、一人で生活する自信もなかったので、自分の中で留学にチャレンジできるという“納得感”が持てるようになってから行きたいと考えていました。そこで、大学生になってからトライアルという感じで、オーストラリアへ1ヶ月の短期留学をしました。

オーストラリアへの短期留学を経て、次の長期留学はどのように決意されたのですか?

そうですね。実は、オーストラリアで彼氏を作って帰ってきちゃったんです(笑)。内緒ですよ(笑)。そうしたら、両親が「お前はもう外にやらない!」と激怒してしまって。でも私は反対されると火がついてしまう性格というか(笑)。ならばやってやろうじゃないか!とハングリー精神に燃えた私は、交換留学のテストに向けて猛勉強しました。選考で選ばれ、さらに全額奨学金が出る交換留学プログラムで早稲田大学の代表として行くのなら、こんな名誉なことには父も反対できないだろうと思って、ワシントン大学セントルイス校の交換留学プログラムを目指しました。勉強の甲斐あり、ワシントン大学に行けることになったのですが、本当は選考の時点ではTOEFLの点数が少し足りなかったんです。それで選考の面接のときに、「留学するときまでには、スコアをクリアします!」と宣言したら、選考に通ってしまいました(笑)。「合格させていただいたのだから、約束した点数は取らなければ!」ということで、合格後も意地で必死に勉強し、最終的にはスコアを基準値以上に上げることができました。

経験こそが次につながる
ワシントン大学での留学について詳しく聞かせてください。

初めは大変でした。2日に1回は泣いていましたね。ディスカッションをしながら進行するクラスがあったんですが、全然ついていけなくて。しゃべれないから、しゃべらない。しゃべらないから、しゃべれるようにならない。という悪循環に陥っていました。そんなある時、寮のパーティーで、あるアメリカ人学生から酔った勢いで「何で夏代はしゃべらないんだ?」と言われたんです。本人は冗談半分で言ったのですが、それは私がその時最も気にしていることだったので、私は皆の前で号泣してしまったんですね。そこから周りの目が変わりました。英語では”Ice break”と言いますが、まさに氷が解けたようになって、彼らとの溝が少し縮んだんです。しゃべりたくても、しゃべれない。そんな私の気持ちを理解してくれたのでしょう。彼らから話しかけてくれるようにもなったし、私の方も「話してみようかな」と積極的に話すようになりました。

また、冬休みに一人でアメリカ国内旅行をしたんですが、雪で飛行機が飛ばなくなってしまうことがしばしばありました。そうすると自分一人で対応しなければいけませんから、否応なしに英語を使わざるを得ない状況になって。一度は翌朝まで飛ばない、ということがあり、冬休みで閉まっているキャンパスに一人で運転して戻り、セキュリティーの人に説明して寮のドアを開けてもらい、誰もいない寮でたった一人で一夜を過ごしたこともありました。そんな冬休みが終わったら、「あれっ?私、自然と英語が出てくるかも...!」というレベルに届いていました。つらい経験こそが次につながるんだなと強く感じましたね。

またどうやってその苦労を乗り越えましたか?MBAの取得を目指されたのは、いつ頃でしたか?

ワシントン大学留学中にビジネス専攻の友人ができ、その友人からMBAというものを聞いて興味を持ちました。そしてまず、ある有名校のアドミッションオフィスに電話してみたんです。「あなたの学校に興味があるのですがどうやったらMBAを取得できますか?」と。今考えたら無謀なことをしましたよね(笑)。そしたら、「勤務経験を4~5年積んでから来て下さい」と言われました。ならばアメリカで勤務経験を積んだら近道なのではないか、と考え、幸いにもニューヨークでの採用が決まったので、卒業後すぐにニューヨークに渡りました。働きながら勉強していましたが、GMAT対策が大変でした。根気良く7回くらい受け続け、満足のいく点数まで上げていきました。また、ビジネス・スクールに入るためには、プレゼンをして自分を売りこむことも大切なんです。採用官のオフィスの外で待っていて、彼女が出てきたら「偶然ですね」という感じで話しかけ(笑)、練習してきた1分間スピーチで自分をアピールしました。そんな甲斐もあってか、その翌日、ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスから合格の電話がかかってきたんです。

リスクはチャンスだと考える
MBAを取得された後、マッキンゼーなどを経て起業されたわけですが、信元さんの背中を押したものはなんですか?

早稲田の先輩ですね。もともとビジネス・スクールに在籍していたころから、漠然と起業したいと思ってはいたんです。副専攻で起業について勉強しましたし、ビジネス・コンテストに参加したりしました。でも、具体的に何をやるかは考えていませんでした。起業を見据えて、いくつかビジネス・プランを書き留めていて、ある時に稲門会にいらっしゃった先輩に「こんなことをしたい」と相談しました。そしたら、「じゃあオフィススペースが必要でしょう。一緒にオフィスシェアしようか?」と提案してくださったんです。彼なりの「起業してみたら?」というメッセージだったと思っています。そんな先輩のメッセージに背中を押されて、起業の第一歩を踏み出しました。

そして見事、起業されたわけですが、業務においての失敗談はありますか?

 

もちろん沢山ありますよ(笑)。例えばこんなことがありました。コンサルタントとして雇って頂いた後に、クライアントがやろうと思っている方向性と、分析結果から私が提案した方向性が少しずれていたんですね。彼は「僕はこの業界の経験がある」という自負があり、譲りませんでした。そこで彼に理解してもらおうと、分析結果を元にして詳細をさらに論理的に説明したんです。そしたら彼は「君にそんなことを言われる筋合いはない」と激怒し、感情的になって私を解雇しました。これは“コンテクスト”(意志疎通の共通知識)の違いに私のコミュニケーション方法を適応しきれなかったことが失敗の原因だったと思っています。つまり彼は、いわゆる“お役所”出身のエリートで、雇う側と雇われる側、目上と目下、などの間の権力格差は当然で、相手が自分に従うという環境に慣れてきた方でしたし、“ハイコンテクスト(お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう)”文化の中でずっと仕事をされていました。その彼が、「雇われた側」の「目下」の私に分析結果を直接的な表現で説得されたのですから、もしかして私の意見が正しいと思っていても、名誉が棄損されたと受け取ったのでしょう。異文化によるコミュニケーションスタイルの違いがどれほどビジネスに影響するのか、を実感した経験でした。

ニューヨークで起業された信元さんは世界でご活躍されていますが、信元さんの考える“グローバル人材”について教えてください。

あえて定義するのなら、グローバル人材とは「地球規模の最適化を常に考え、国や文化を超えた人々を束ねて変革や革新を実現する人」だと思っています。「地球規模の最適化を考える」とは、地球全体をリソースとして考えて人材を世界中から集めたりなどと、地球全体で考えた時にどういうことが最適化につながるのかを考えることです。さらに、企業におけるグローバル・リーダーは「多様性を受容しつつ、自社の価値観を伝達そして浸透できる人」です。「文化」と一括りに言っても、儀式のように目に見える部分と価値観のように目に見えない部分がありますし、「文化」には、国家や地域、職業や個人などで様々なレベルがあります。そしてその「文化」によって人々の行動は変化するので、文化間におけるギャップが生まれ、誤解も発生してしまいます。そのギャップを埋める為に、相手の発言を自分の言葉に変換したり、ジェスチャーやアイコンタクトをしながら聞いたりとアクティブ・リスニング(積極的傾聴)をすることが大切です。このアクティブ・リスニングとファシリテーションのスキルによって、コンフリクト(対立・衝突)をコンセンサス(合意)に変えるのが、グローバル・リーダーに必要な能力だと思っています。

最後に、グローバルに活躍したいと考えている早大生へのメッセージをいただけますか?

海外で働くのは、リスクがあるかもしれません。でも、リスクを取らなければチャンスもやってきません。私は「リスクはチャンス」だと考えています。海外に出て、失敗やつらい経験をすることもあります。でも、何でもうまくいくよりは、つらい経験こそが自分の実になると思います。また世界に出ると、日本は特殊な文化を持っていると感じます。つまり、日本の常識は必ずしも世界で通用するわけではないということです。皆さんには、旅行やホームステイなど短期間でも良いので、なるべく複数の国に行って異文化体験をしてほしいです。そして、視野を広げて、将来はグローバルに活躍してほしいなと思っています。

編集後記

 信元さんはニューヨーク在住で、お忙しいなか、帰国された折にトーク・セッションとインタビューに応じてくださいました。起業家だけでなく、競技ダンス選手という一面もお持ちの信元さん、「これからも競技ダンスはずっと続けたい」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的で、趣味の時間も大切にして、充実された生活を送られているのだなと思いました。リスクはチャンス。リスクを回避しがちな私にとっては、とても身に染みるお言葉でした。時間がたくさんある学生の間に、海外に行ったり留学生と交流したりして、できるだけたくさんの異文化体験をしたいと思っています。

町田 花菜子(商学部2年)

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