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好奇心を持って大きな夢を描け。追い続ければ道は必ず開ける

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2012年2月1日公開)

駐日パラグアイ共和国特命全権大使
豊歳 直之

1936年生まれ。58年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。同年大阪商船株式会社入社。60年アルゼンチンブエノスアイレスS. Tsuji SA勤務。69年パラグアイに移住。2009年までToyotoshi S.A.会長などを歴任。同年10月駐日パラグアイ共和国特命全権大使就任。

なんとかして海外に行きたいと模索していた学生時代

どのような学生時代を送られましたか。

私は早稲田大学に入って、一生懸命“優”を取ることだけに専念していた普通の学生だったんですよ。当時の日本はまだまだ裕福ではなかった時代ですからね。 私も9人兄弟でしたから、お小遣い稼ぎに家庭教師や土木などのアルバイトをやりました。そのうちに、漠然と卒業後に何をやりたいかということを気にするよ うになりました。そんななか、外国に行って何かしたいという大きな夢はずっと持っていました。私が子供だったときに日本が戦争で負けて、アメリカの進駐軍 の兵隊を見て、特にアメリカのような裕福な国に行きたいと思っていました。しかし、アメリカに行くにはビザが必要で、今のように簡単には取れません。それ でも何か方法はないかと思って模索していました。そうこうしているうちに、海外に出たいという学生が何人か集まって、海外移住研究会というサークルを作っ たんです。それぞれいかに海外に行くかをいつも語り合いました。今でもOBで集まって会合を開いていますよ。

南米に興味を持たれたきっかけは何ですか。

あるとき新宿の紀伊国屋書店へ立ち読みをしに行ったところ、『世界地理体系』という本がずらっと並んでいたんですね。そこから南米の国々を知りました。初 めて見る国ばかりで、アメリカよりは南米のほうが行けるチャンスがあると思い、当時高かったその本を買って帰りました。パラパラと見ていたらアルゼンチン が目に入りました。アルゼンチンには技術移民としてあるいは呼び寄せの形で保証人がいれば行くことが可能ということを知って、これなら行くチャンスがある かもしれないと思ったんです。一応英語は一生懸命勉強していましたよ。当時進駐軍は民間のところに家を借りて住んでいたのですが、近くにたまたま2軒あり ました。そこで知り合った同世代の子供といつも英会話の練習をして、将来に役立てたいと思っていました。

ずっと夢見続けていた南米への渡航を実現

南米に渡航された経緯について教えてください。

港に移民船を何度か見に行ったことがあり、そのとき印象に残った大阪商船(現商船三井)を卒業後に受験しました。大阪商船に入れば南米に行けるチャンスが あると思ってどうしても入りたかったのです。無事試験に合格し、私は南米方面の船員としての海上勤務を希望していましたが、配属されたのがニューヨーク行 きの船で、しかも船のオペレーション等の陸上勤務でした。すごく落胆したのを覚えています。その後本社勤務になって東京に来ました。当時は自由競争ではな く、海運同盟の中で運賃を決めていましたが、それをいくらにするかなどを決める会議に出席していました。しかし、私は早く日本を抜け出したいとばかり考え ていました。ちょうど海外日系人大会というのがあって、そこにアルゼンチンから来た人がいないかを探したところ、それがいたんですよ。アルゼンチンで雑貨 の輸入をしている日系の会社でした。それで呼んでくださいと2年間ずっと頼み続けましたら、そこの社長が日本に来たときになんとか私を呼び寄せてくれて、 移民として話が成立しました。アルゼンチンに移住する私の夢が実現したわけです。

パラグアイのどのようなところに一番惹かれましたか。

パラグアイに入ったときは、今までと全然違う国だと感じました。話すスペイン語も少し違いましたし、人も違うんですよね。質素で親切で、最初に行ったアル ゼンチンよりもずっと貧乏な国だけれども、人柄が良くてすっかり気に入りました。南米に行った後は、いろいろな商売を持ち込みました。ウルグアイでおも ちゃを売り歩きましたし、チリにも行きました。電車やバス、馬車を乗り継ぎながら、アルゼンチンでも国境まで商品を売り歩きましたね。そのあとにパラグア イでホンダの商品の販売しないかと誘いを受けました。アルゼンチンは国産品の保護のために頻繁に輸入制限をしていたのに対し、パラグアイは何でも輸入が自 由だったというところにも惹かれました。貿易が私の取り柄でしたので、生きていくためには輸出入が自由な国がいいと思って決心してパラグアイに船で渡りま した。

単身で最初にアルゼンチンに行かれたとき、言葉には困りませんでしたか。

南米に渡るまでスペイン語は全く勉強していませんでした。そこで、船で読もうと思って『スペイン語4週間』という本を持ち込みました。ところが、船にいろ いろな船客が乗ってきて、彼らと一緒にパナマやヴェネズエラなどいろいろなところで船を降りて観光をすることになりました。それが楽しくて楽しくて、その 本は結局1ページも開きませんでした。だから着いたのはいいですが、スペイン語はしゃべれないんですよね。やはり商売にはならないので、とにかくスペイン 語を聞いて、話している内容を想像していました。そうするとだんだんと話していることが想像から実際に分かるようになりましたね。負けず嫌いな性分で、その国の人に負けるようなスペイン語を話したり書いたりしてはいけないと当時から思っていました。

日パ両国の懸け橋としてこれからも奮闘し続ける

パラグアイ国籍の取得と、異国での大使就任に迷いはありましたか。

好奇心からやってみようという気持ちはあったけれども、やはり未知の世界で、しかも大使というのは国を代表する仕事だから迷いました。一番迷ったのはやは り日本国籍を離脱しなければならないということでしたね。感情的には非常に悩みました。しかし、私がこのようにやってこられたのは、南米、特にパラグアイ辺りが規制された社会ではなかったからなんですよね。まだまだこれから作っていく国なんです。日本だったら私が今やっていることはできなかっただろうし、 アメリカに行ってもできなかったのではないかと思います。私が好きなようにやってこられたのは、やはりまだまだ自分で頭を使ったり労働力を提供したりし て、一生懸命やればなんとかなるという世界がだったからではないかと思います。すごくお世話になった国でしたし、何度も要請を受けたということもあり、ひとつの恩返しと考え、大使の就任を引き受けました。

今後はどのようなところに注力していきたいですか。

両国の間に立つのは難しい立場で、困ることもあります。しかし、日本国籍を離脱したからといって、100%パラグアイというわけにはいかないんですよね。 やはり日本と、そして新しく私の国になったパラグアイが混在しているわけです。まずは将来のパラグアイの指導者になるような優秀な人間が必要だと思ってい ます。だから、学術的に優秀で、道徳心をもった生徒を育てたいと思って、日本パラグアイ学院を創設しました。つまり、パラグアイで私が昔受けたような、学 校と先生に全てを任せるという教育方針をそこで今やっています。また、震災後は、パラグアイで作った非遺伝子組換の大豆を被災地に配布してきました。これ を最初に言い出したのがパラグアイの日系人の農家で、これは私たちからの日本への思いです。

                     非遺伝子組換の大豆

編集後記

好奇心の塊だから、今大使をやっているのも好奇心からだと笑って話す豊歳さん。南米での数多くの出会いを楽しそうに話されている姿が印象的で、パラ グアイへの熱い想いが何度も何度も感じられました。著書『パラグアイにかけた夢―豊歳直之・わが人生』を読みましたが、夢に向かって強い意志を持って臨み続ければ必ず成功が訪れるということを豊歳さんはご自身の経験を踏まえて教えてくれました。これから社会に出ても、自分の道は自分で切り開くんだという前向きな心構えを大事にしていきたいと思いました。

陸 欣(国際教養学部4年)

登るべき高い山を持って、必死になって登っていけ。夢や目標を本気で目指すと、人は強くなれる

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2012年1月27日公開)

中国杭州緑城足球倶楽部監督
サッカー日本代表前監督           岡田 武史

1956年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。97年日本代表監督就任。フランス大会で日本を初のW杯出場へ。99-01年コンサドーレ札 幌、03-06年横浜F・マリノスの監督を歴任。07年から再び日本代表監督、10年W杯南アフリカ大会でベスト16。現在は中国のサッカー・スーパーリーグ杭州緑城監督。日本サッカー協会理事(環境担当)、Okada Institute Japan代表理事、富良野自然塾理事。

 

日本人であることに誇りを持って、どんどん厳しい世界に出て行け!

サッカー日本代表の監督を二度務められましたが、どのようなことを大切にしていましたか?

世界との力の差を冷静に把握することかな。日本は、1998年のフランスのワールドカップ(以下、W杯)に初めて出たんだけれど、その当時の対戦相手はほとんどがテレビで観ている選手、つまり憧れの存在で、試合が終わったらサインをもらいに行きそうな感じだったね。要は同じ土俵で戦っていなくて、100 メートル競走で言うと5メートルくらい後ろからスタートしているような感覚があった。W杯ってどんなもんかもわからないし。ところが、その後U18や U20とかいろんな世代が国際試合を経験していくにつれて、みんなが経験を積んで、2010年の南アフリカ大会のときは、ほぼ同じスタートラインからス タートできたと思うね。まだちょっと後ろだったけれど。日本人として劣っている部分は必ずある。でも、優れている部分もあるわけよ。それをきちっと分析して、把握する必要がある。例えば、ジャマイカのボルト(陸上競技短距離選手)っているじゃん。パワーで考えたら、日本人がどれだけ鍛えても勝てないよ。こ れは差があるなとわかる。でも、「あー、外国人の方がやっぱりすごいなー」とかじゃなくて、何が問題なのかをきちっと把握し、「持久力では十分対等に戦え るな」とか勝てる方法を考えないといけない。だから、W杯とか世界で戦うときに一番気をつけているのは、力の差を冷静にしっかり把握すること。「弱気じゃ 駄目だ!」とかいう気持ちの問題ではなくて、しっかり分析して、その中でどう戦うか考えることが大事。相手がすごいからといって気後れしていては、はなか らだめ。逆に、煽られて「絶対勝ちます、絶対勝ちます」って精神論だけでもだめ。そういうことに気をつけていたね。

世界を舞台に戦う際に必要なことは何ですか?

海外に行くときに、自分たちを卑下して、自分の国、自分に対して誇りを持っていないと必ず馬鹿にされる。俺もドイツに一年住んでいたけれど、差別は必ずあると思う。でもそんなの関係なくて、日本人としてのアイデンティティに誇りを持つことが大事。今は、「日本人はすごい」って煽るような風潮もあるんだけれ ど、それもやっぱり違う。自分たちに素晴らしいところがあると同時に、相手にも素晴らしいところがあるっていうことを認められる度量がないといけない。代表チームは、日本に対する誇りを持っていないと戦えないんですよ。下手に勘ぐると変なナショナリズムになってしまうけれど、本当のナショナリズムっていう のは自分に愛する故郷があるように、相手にも愛する故郷があることを認める、ということ。自分たちだけじゃないんだよね。俺たち、南アフリカ大会でパラグ アイにPKで負けたんだけれど、パラグアイの選手たちは勝った瞬間みんな大喜びしていた。その中で、一人だけホセ・サンタクルスという選手が日本人選手の ところにスーッと来て、肩を抱いて握手していった。素晴らしいなぁと思った。こいつは、「日本は負けたけれども、日本人も同じように国を愛して戦ったんだ」ということがわかっていたんだよね。そういう度量というか、幅を持っていることが大切だと思う。

日本人であることに誇りを持つようになったきっかけは何でしたか?

俺は中学を卒業したら高校に行かないで、海外でプレーすると言って親を困らせた。全然上手くなかったんだけれどね。でも、いつか努力したら、ヨーロッパのプロのやつらに追いつくってずーっと思っていたんだよね。ところが、34歳のときにバイエルン・ミュンヘンというドイツのチームと戦ったときに「俺がこれからどれだけ努力したとしても、こいつらには追いつかない」って感じた。その瞬間、自分の選手人生に終止符を打ち、後進の指導に当たろうと決意した。それ以来、日本代表チームが世界で戦うときに、どうしたらこいつらに勝てるのかっていうことをずっと考えてきた。そういう意味では、だいぶ前から日本人の良さ を見なければという感覚があったのかもしれない。サッカーだけじゃないんだけれど、日本人の社会はある程度コンプレックスの社会。サッカーの世界で言う と、ヨーロッパや南米の誰々がこう言っているって必ず言う。俺が記者会見をしても、「世界で戦うにはこうじゃないんですか?」って聞かれる。「何で?」っ て聞き返すと、「ヨーロッパの誰々がこう言っています」って。俺は「そんなに日本人はだめかい?」ってずっと思っていた。日本人には日本人の良いところ、 外国人には外国人の良いところがある。でも、日本人は、自分たちの良いところを見ないようにしている。オシム(サッカー日本代表元監督)の後に、日本代表の監督を引き受けたのは、そんな悔しさがあったからなんだ。

自分の責任でリスクを冒せないやつは世界なんかで勝てない

世界で活躍できる選手には、どのような共通点があると思いますか?

今まで多くの選手たちを見てきて思うのは、成功する選手は物事をポジティブに考えるということかな。表現が難しいけれど、ある程度いい加減なやつ。この前日本代表のマネージャーに電話したら、たまたま近くで練習していた長友(佑都選手)に代わってくれて、いろんな話をしていたら最後に、「岡田さん、今日は わざわざ僕のために電話をありがとうございました!」って(笑)。あいつが海外で活躍できるのも、このくらいの図太いポジティブさがあるからだと思うよ。 あとは、自分で判断できるかどうか。これは個人だけじゃなくて、チームとして世界で勝つためにも重要。なでしこの佐々木則夫(監督)も言っているけれど、 監督に言われたことをこなしているだけのチームじゃ勝てない。でも、日本の選手は保証を欲しがる。「ミスしていいからシュートを打て」「捕られていいか ら、勝負しろ」って。それなら誰でもできる。世界で勝つためには、自分の責任でリスクを背負って、判断する勇気を持たないとだめだ。だから、俺は監督とし て原則的な指示は出すけれど、それ以上は言わない。監督の言う通りにしか動けないなんて、そんなの選手じゃない。それで何が面白いんだ?自分の責任でリス クを冒していくことが、スポーツの最高の楽しみ。だから、自分で判断できるということが、世界に出て行くのに大切だよね。

国内外でプレーする選手の間には、どのような違いがあるのでしょうか?

選手に違いがあるというか、Jリーグのレベルがまだ低いからしょうがないんだよね。人間ってやっぱり弱いから、追い込まれないとできない。やらなくて済む ことはやらない。世界のレベルを想定してプレーしなければならないと頭ではわかっていても、実行に移せないよね。だから、手っ取り早く上手くなりたいな ら、海外の厳しい環境に出ていった方がいい。Jリーグのレベルを上げるには時間がかかるから。海外の選手は意識が違うよ。日本だとレフェリーがすぐファー ルをとるから、選手も簡単に倒れるけれど、海外はファールをとらないからね。長谷部(誠選手)なんかは、ほんと倒れなくなった。海外のチームに外国人枠で獲られるってことは、現地の選手より上手くないといけない。だから、いろんなプレッシャーがある中でやっている。プレッシャーっていうのは重力と一緒で、 重力がなくなると筋肉も骨もだめになる。宇宙飛行士は、宇宙に行くと骨がすかすか、筋肉がブヨブヨになって、地球に戻ってくると立てなくなる。それと一緒 で、人間は重力がかかっていないとどんどんだめになっていく。選手の意識についてもそういうことだと思う。

外国人にも尊敬される「何か」を持っている人がグローバルに活躍できる

「グローバルに活躍する人」にどのようなイメージを持っていますか?

俺の友人でも、グローバルに活躍している人はたくさんいるよ。指揮者の佐渡裕さんは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団なんかで指揮している。「こいつ すごいなぁ。グローバルだなぁ」って思うわな。その一方で、和太鼓の第一人者の林英哲さんは、和太鼓だけれど世界ですごく認められていて、日本での評価よ りも海外の評価の方が高い。そうやって見ると、グローバルに活躍しているのは「外国人にも尊敬される何かを持っている人たち」だな、僕のイメージではね。 この前も建築家の隈研吾さんと対談したけれど、隈さんは日本にいるより海外にいる方が長い。隈さんの事務所に行くと半分以上が外国人の学生で、みんな隈さ んのところで勉強したいってやって来る。要するに、外国人の目から見ても尊敬されるところを持っている人だな。

グローバルに活躍するためには、どのようなことが必要だと思いますか?

やっぱり熱中しているものを持っていて、何か一つのことを一生懸命やっていることかなぁ。結果的にそれが秀でればすごいと思う。リーダーには語学力や決断力、洞察力が大事だってよく言われるけれど、一番大事なのは登るべき山を持って、必死になって登っている姿を見せること。要は、人は聖人君子についていく んじゃない。志の高い山、夢に向かって登っている人を見て、「この人についていこう」って思うんだよね。例えば、坂本竜馬は良いリーダーになろうなんて 思っていない。「この国を何とかしなきゃ」と思っていたら、みんながついてきたわけ。だから、自分の目的を持つことが大事なんじゃないかな。

「遺伝子にスイッチを入れる」経験を自ら作って強くなれ!

若い世代が「内向きだ」と言われていますが、そのように感じることはありますか?

同じように感じるよ。でも、さっき言ったようにやらなくて済んだらやらないんだ。俺だってそうだ。だから、若いやつのせいじゃない。そういう社会を作った のは誰だ?我々だろって。我々が便利、快適、安全が素晴らしいと思って作った豊かな社会が、実は何もしなくて済んでしまう社会だった。「よーし、ここで頑 張らなきゃ」って頑張らなくても、引きこもっていても生きていけるようになった。だから、環境を与えてあげなければならない。それで、昔やっていたボーイ スカウトで自然を乗り越えた達成感を思い出して、野外体験活動を始めた。(2011年)夏に、2泊3日で大学生と神奈川県の丹沢に行ったんだけれど、何もないところに寝かせてね。トイレを自分で掘らせて、飯も釜で作らせて、ヤマビルに血吸われながら過ごして、沢を登らせるんだけれど、みんなほんとによく頑張った。やればみんなできるんだ。だから、ある意味かわいそうなんだよね。僕らの世代も豊かだったけれど、それなりに自然と苦労をしてきた。でも、今の世代は高いレベルで暮らしていける。ぼけっとしていたら、そういう環境がないからチャレンジしなくても済む。だから、自分で山を作ってチャレンジしなければならない。若い世代が弱いというのは事実だと思っている。でも、問題は彼らにあるんじゃなくて、環境にあると思っているよね。

若い世代に経験してほしいことはありますか?

「遺伝子にスイッチを入れる」経験が大事だと思うね。生きていくだけで素晴らしい、その通りなんだよ。でも、何か目標や夢を持ってチャレンジするようにな ると強くなる。俺は、これを「遺伝子にスイッチを入れる」って言っている。人間はみんな強い遺伝子を持っているけれど、のほほんとした暮らしをしていると スイッチが入らないんだよ。今はスイッチを入れるチャンスがないなと感じる。もう一つは、限度を知ることが大切。今の社会、人間は傲慢になっている。科学技術で何でも解決できる、何とかなると思っている。人間が限度を知らなくなったのは、自然に接しなくなったからだ。山の中に一人で入ったとき、絶対に自然 にはかなわない大きな力があることがわかる。だから、自然と接して達成感を味わうとともに、限度があるってことを知ってほしいね。あとは、学生だから勉強 はした方がいいよ。でも、勉強するっていうのは先人が経験したことを読むことで、「二次情報」なわけよ。それを学ぶのはすごく大切だけれど、一番大事なの は「一次情報」、つまり自分が経験すること。勉強してきたことを、どこかで一次情報の体感とマッチさせる。そのために、いろんなことを体験することが大切 だと思うよ。

2011年9月神奈川県丹沢プロジェクトの様子

                      神奈川県の丹沢にて

                 直前の大雨で水量の増した沢を登る

              参加学生と環境や経済についてディスカッション

 

編集後記

「海外への憧れ」を抱くことは、自分の視野を広げ、モチベーションを高めるきっかけになります。その一方で、「日本はだめだ」と漠然とした劣等感を 抱くのではなく、自国と自分に誇りを持つことが大切だと痛感しました。それは、国内と海外を比べる場合だけでなく、自分と他人の比較の際にも同じことが言 えると思います。まず現状を把握し、それから課題を解決するための方法を冷静に考えていくべきだと学びました。自らチャレンジする機会を作り、高い「山」 を目指して登っていきたいです。

   西辻 明日香(商学研究科1年)

文系・理系の垣根を越えて、自分と違う考えをもつ人にたくさん触れてほしい

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2012年1月23日公開)

東京工業大学
グローバルリーダー教育院長
佐藤 勲

1958年東京都出身。81年東京工業大学工学部卒。83年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。84年同研究科博士課程退学。同年から東京工業大学助手、助教授を経て、2000年から教授。専攻は熱工学。2011年にグローバリーダー教育院長に就任。

科学技術で社会を方向づけ、けん引していく人材を作りたい

グローバルリーダー教育院のしくみについて教えてください。

理工系を中心とする大学だからこそ科学技術に立脚する社会をリードする人材を養成したいということで、グローバルリーダー教育院を設置しました。今は9名の学生が所属しています。ドクターコースなので専門知識は絶対に身につけないといけません。それに加えて専門領域以外のところも繋げて見られるような俯瞰力を身につけ、国や文化を超えた基礎知識があり、さらにリーダーとして合意形成ができ、それを形にできる行動力をもって社会をけん引できる人材の育成を目指しています。グローバルリーダー教育院には、主専門の教育体系と並行して“道場”というものが設置されています。科学技術系と人文社会系の二つの道場が あり、道場主と呼ばれる先生のもとで学生が自分自身でいろいろな活動をします。課外活動としてインターンシップに似た活動も行っています。実際に会社が求 めているプロジェクトを3カ月から半年ほどかけて実施するという経験を修了までに必ず行います。

佐藤さんがお考えになるグローバルリーダーとは何ですか。

まず定義をしないといけませんが、グローバルリーダー人材とは「国際社会をこれからどうやって方向づけていこうか」ということを考える人だと思います。こ こではそういう人を養成したいです。どうやって方向づけるかは、企業の中にいても、政治家であっても、学問の世界からでも何でもいいと思うんですね。その 領域の中で自分の国の文化だけではなく、他の国にも影響を及ぼせるようなリーダーシップが発揮できる人を育みたいですね。幅は広いですが、共通しているこ とは、いろいろな文化を理解した上で、自分の文化の強みをアピールし、両方を組み合わせて強みを作り上げて、さらにそれを説明でき、形にできる人材だと思 います。

社会をけん引していくような人材というのはどのような能力が求められると思いますか。

まずはやっぱり気概ですよね。社会をリードしていきたいと自分が考えているということです。それがあると、社会をリードしようとして他の人とコミュニケー ションを取らないといけないので、その能力が自然と身についてきます。いろいろな国籍や文化を持つ人たちとコミュニケーションをしていく上で共通の言語を ツールとして使う必要があるので、英語に限らず、語学も勉強しないといけません。実はこのグローバル教育院コースの中には語学科目がありません。それは自分が必要だと思ったら自分自身で学んでくださいということです。当然、そのための機会は豊富に用意しますが、自分が必要とするものを習得できるように計画する、そういう意識を持たないと当然リーダーにはなれないですよね。

理工系だからこそ横に繋げる力をもってほしい

理工系の学生のグローバル人材育成において、特に注力されていることは何ですか。

道場の特徴は、国籍問わずいろいろな学生を混ぜましょうというのが一つ、もう一つはいろいろな専門をもった学生を混ぜましょうということです。社会をリー ドするとなると、様々な背景や考え方を持つ人を束ねないといけません。そうすると様々な分野の知識が必要になってきますので、社会や文化、経済から科学技術に至るまでの幅広い分野について、少なくとも話が通じるくらいの知識を身につけなければなりません。それから一番大切なのは人脈ですよね。全てを一人ではできないので、いろいろな分野の人たちと協力していかなければなりません。東工大の学生は自分の専門分野を深くやるのは得意ですが、他の人と協調するこ とがあまり得意ではありません。だからこそ横に繋げるようなしくみを作りたいと思いました。理工系の学生は、自分が考えていることが本当に真理かどうかというのを追求します。それが学問の目的ということもあって、自分の判断は自分でする世界です。つまり先鋭化してしまうのですね。だから自分の専門領域に加 えて横にも繋げる力を身につけてほしいです。

グローバルリーダー教育院の設置に当たっての佐藤さんの思いを教えてください。

別の側面として、グローバルに活躍できるリーダー人材を養成するために考えたしくみがグローバルリーダー教育院です。東工大では6人に1人が外国人留学生 です。しかし、留学生との交流はどうしても研究室の中に限られてしまいます。だからこのようにミックスアップするしくみを作らないと、なかなかグローバル な視点は身に付かないと思います。専門分野についても同じです。そのミックアップする一つのきっかけになればいいかなと思いますね。これからはもっと もっと交流が増えていくと思います。グローバルリーダー教育院は5年間のコースです。道場で所定の単位を修得しても学生は道場に在籍しています。だから下級生の指導にも当たることになるので、文化なり専門なりをもっとミックスできるのではないかと思います。

道場の様子

理工系と人文系に分かれても両方学ぶ姿勢が重要

グローバルリーダー人材の育成において最も大事なことは何だとお考えですか。

他の地域や国の文化を理解すると同時に、自分の国の文化に誇りをもつことだと思います。学生にもそういう意識をもつように言っています。自分の文化という のはあまり意識しないし、自分の中で整理しないので、なかなかうまく言えませんよね。だからそれを意識するようにするのは結構難しいと思いますね。また、 理工系の学生に関しては、やはり自分の専門領域に閉じこもらないようにすることが最も大事だと思います。カリキュラムでは社会との連携を重要視しています ので、インターンシップの他に、国際機関や企業で働く人たちに来ていただいて、学生に話をしてからディスカッションを行います。社会とのつながりの意識を まずもってもらうことが大事ですね。

大学生のうちにやっておくべきことは何だと思いますか。

他の国の文化に触れることでしょうね。この国はこんな感じなのかとか、この食べ物は食べられないなとか、そういうことを経験することだと思いますね。やっ ぱり自分と違う考え方をもつ人との交流を経験することが大切だと思いますよ。それは国際的でなくても国内でもいいし、違う分野でもいいと思います。なぜ自 分と違う考え方をするのかというのを自分の中で噛み砕いて理解する。その後にどのようにコミュニケーションをするかを考える、そういう経験をできるだけ多 くすることだと思います。いろんな人とたくさん触れ合うことですね。

最後にメッセージをお願いします。

今は理工系とか人文系とか、そういう垣根がない社会なのかもしれません。だからお互いに相手の分野の基礎素養を理解しているといいかもしれませんね。共同作業をするにはやはり話が通じないといけません。そういう意味で、高校のときに文系と理系に分かれるのは、本当は良くないと思っています。数学にしろ、歴史にしろ、人が生きていくための基盤ですから、やはりそれなりの基礎はお互いがもっていた方がいいと思います。だから分野に限らず、何でも興味があれば今のうちにできるだけたくさんチャレンジしておくことを勧めます。

講義中の佐藤さん

編集後記

グループワークの授業のことを“道場”と呼ぶなどとても斬新でユニークな教育体制をもつグローバルリーダー教育院。佐藤先生にお話を伺った中で、そ こに所属する学生は幅広いカリキュラムの中で、自分で考え、自分で動くことを強く求められている印象を受けました。専門分野を追求しながらも幅広い教養知 識を身につけるということは、博士課程の学生だけでなく、私たち大学生にとってもすごく大事なことだと感じました。早稲田大学にも副専攻を履修できる仕組 みがありますが、学部や学年関係なく同じ授業で議論を交わしたのはとても良い経験になったのを思い出し、まだ受講したことがない人や4月に入学してくる1 年生にはぜひお勧めしたいです。

陸 欣(国際教養学部4年)

グローバルに活躍できるのは”英語使い”ではない。”話すことがある人”である

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2012年1月17日公開)

早稲田大学客員教授
高野 孝子

新潟県生まれ。エジンバラ大学Ph.D。(特活)エコプラス代表理事、早稲田大学客員教授、立教大学特任教授。90年代初めから「人と自然と異文 化」をテーマに、地球規模の環境・野外教育プロジェクトの企画運営に取り組む。「地域に根ざした教育」の重要性を掲げ、「TAPPO南魚沼やまとくらしの 学校」事業を実施中。龍村仁監督の環境ドキュメンタリー「地球交響曲第7番」に出演。

「こう生きねばならぬ」ということはないと気づいた学生時代

学生時代のどのような経験が今の活動につながっていますか。

大学は当然行くものだと思っていたので進学したけれど、自分の意思で選んだわけでもないのに大学まで来たことに気づかされたのが、大学3年から4年にかけ て行ったアメリカ留学でした。親がちゃんと環境を整えてくれたからここまで来られたのですごく幸運だったけれど、中学を出て、自分は職人になるという道も あったはず。でも、それを問うことさえもなく、中学を出たら高校、高校を出たら大学と来てしまったことにハッとしました。たぶん留学しなかったら、そのま ま普通に就職していたと思います。留学先で出会った人のうちに泊まり、他人の人生に顔をつっこみながら旅をしたことで、ものすごくいろんな生き方があっ て、「何をやって生きてもいい、その代わり自分で責任をとれば」ということがわかったのです。「こう生きねばならぬということはないんだ」ということを教 わりましたね。既成概念にとらわれていた自分に気づき、次第に自分が自由になっていきました。帰国してから、人が決めたレール、生き方にまた自分を合わせ てしまうのがこわいと思っていたころに出会ったのがオーストラリアでの「オペレーションローリー」というプロジェクトでした。青少年育成を目的に、国際遠征の日本人参加者を募集していたのです。電気もガスもトイレもない環境で、世界から集まった若者とともに3ヶ月間様々なプロジェクトに取り組んだことで、 「人は最低限これで生きていけるんだ」ということを学び、今までできなかったことができるようになりました。そのスキルを持ったことで、今までにはなかっ た選択肢が広がりました。大学院を終えて新聞社に就職しました。でも、旅先が街じゃなくて自然の中に向かい、自然の中で暮らす人に会いに行くようになりま したね。

既成概念にとらわれた生き方をしたくないと気づいたとき、私たちはどう判断すべきでしょうか。

まずは、今想像しているものが、本当に自分で考えたものなのか、思わされているものなのかを少し仕分けなければいけないと思います。時代や社会、家庭、個 人の状況によっては、それ以外の選択肢がないという場合が絶対にあります。でも、可能性があるはずなのに自分でそれを見ていないのはもったいない。自分は 本当に、自分で食べる以上のお金を稼がなくてはならない環境にあるのかどうかというあたりから、自分を見つめることですね。例えば、家族に病気の人がいる とか扶養しないといけない人がいるとか、そういう理由があるとしたら、何よりも先にそっちが大事ですけど。でも、みんなが元気で、自分がここからふっとい なくなっても、とりあえず迷惑かけないという状況にあって、「自分を試していいよ」ってみんながサポートしてくれるなら、どんどんやってみたらいい。「自分で自分に枠をはめない」っていうのが大事だと思っています。

本当の豊かさ、幸せを考える場をつくってきた25年

高野先生は「冒険家」と呼ばれていますが、冒険と旅行はどのように違うのでしょうか。

私には全部、旅行ですね。旅行っていうか旅。それが冒険的だったりするだけで、自分にとって新しいことは全部冒険で、行ったことないところにいくのは冒険 だと思います。やったことがないことをする、食べたことがないものを食べるとか大冒険だと思いませんか?「こんなの食べて大丈夫?」とか。それは旅の面白 さですし、知らない人に出会うのもそういうところに身を持っていくのは冒険です。アマゾン河をカヌーで下るとか、北極点にパラシュートで降りるとか、そう いうことは冒険活動に見えるんだけれど、私がアマゾンにいったのはそこの人に会いたいからだし、カヌーで旅するのも面白そうですよね?そうしないと会えな い人たちがいるから。だから、「冒険活動」をしたくて行ったことは今まで一度もないです。ただ、北極海の横断というのは旅っていうにはちょっと大事すぎた けれどね。「あんな旅しないでしょ」っていう感じですよね。でも、だいたい人のいるところに行くことは私にとっては旅だし、たとえ長期でも旅ですね。人が見せようと思うものに乗っかってそれしか見られないのは、若い人には残念かなって思います。若いときは何もないけれど、時間だけはある、お金はないけど時 間はあると思うのね。だから、そういうときじゃないとできない、他人が見せたいと思うものじゃない隅っこをつついてみたり、絶対会わないような人に会って みたりする方が面白いんだと思います。何かものを見に行くわけじゃなくて、やっぱり体験にいくっていうか、時間と場所そのものを体験するのが大事なんじゃ ないかな。

どのような思いがあって、環境教育の場を作ってきましたか。

小さい頃からおしゃべりだったし書くのも好きで、自分がやったことや気づいたこと、考えたことを人と共有することが好きでした。大学院修了後に新聞社に 入ったのも、大切な情報を人に知らせる仕事をしたかったからでしょうね。自分の経験から大事なんじゃないかなと思うことがあったとき、「これって大事じゃ ない?」って人に聞いてみたい、伝えてみたいのです。それと同時に、伝えることはとても大事なことだと思っています。こっちが勝手に情報を伝えても、「い らない」という人も、受け取ったとしても「ん~まぁ別に…」という人もいると思います。それはそれでいいと思っているんです。でも、差し出してみないこと には何も伝わらない。その人がまったく見たことがないものなのか、一回手にとってみて考えることがあったのかで変わってくると思っています。だから、そう いう経験ができる舞台を作っています。その経験を分かち合いたいと思った人は、今度は自分の言葉で分かち合ったり、気づいたことをもとに職業を選び直した りするでしょう。どんな職業につくにしても、人と助け合うことは大事なんだとか、人は最低限これがあれば生きていけるんだとかわかっている人が、たとえば 商社や銀行、役所で勤めることで、社会が変わってくると思うんですよね。現場の人への見方とか世界観とか。その後何をやるかは個々人の問題になりますが、 こういったところに踏み込むことが大事だと思っています。たとえば、最終的には「豊かさって何だろう」ってことや自分の可能性に気づいてほしくて、プログラムを組み立てていますね。最近は都会に住んでいると、若い子でもあまり身体を動かさないでしょ。ジムではなく、自然の中で空気を思いっきり吸い込む感じ とか、そこで身体が活性化するときに脳とか心も活性化する、みたいな経験があまりないんじゃないかなって思います。だから、そういうことの気持ちよさと か、同時に人間ってなんてちっぽけなんだということとか。それは感覚的に知らなきゃいけないことだと思うので、自然を体験できる活動はいい場所だなと思っ ています。

「本当の豊かさ、幸せとは何か」という問いが、活動の根幹にあるのですか。

20代前半の旅を通して、なんとなく自分の豊かさと幸せについては見えていました。お金は幸せを生まない、友達の大切さ、人としてどうあるべきか、人はモ ノじゃない、自分の価値をどう高めていくかが豊かさであり、人とつながれること、つながれるだけの力をもてるということ、健全な自然が周りにあるというこ と。そういうことが豊かさにつながるということですかね。何がなくても「人と自然」だと思うけれど、他の人はどうなんだろうって思っていました。私は経験 を通してそういうことに気づいていましたが、そうじゃなかったら、モノをいっぱい持って、お化粧して、ブランドがどうとかそういう話ばかりして、それで面白いから「それって本当に大事なのかな」って問い直すことさえもしなかったです。それでも、問い直すようになったのは、旅をしたからです。本当の幸せとか 豊かさを自分が知りたいというよりは、他の人たちもいろんな経験をしたら、本当に大事なものとか本当の幸せって何だろうって考えるようになるんじゃない かって思いました。その方が日本も豊かになるし、みんながそういうことを考えるようになれば世界の悩んでいる問題も少しはよくなるんじゃないかなという思いがありました。今まさにこういうことを考えることが大事じゃないかなと思います。

なぜ、今「豊かさ」や「幸せ」について考えることが大切なのでしょうか。

先進国といわれている産業国がぼろぼろになりつつあるでしょ。結局、お金っていうものの幻想の上に成り立っていた社会とその人たちが今ぼろぼろと崩れようとしています。だから、今まさに本当の豊かさって何かを問わなければならない。10年くらい前までは、先進国の人々が、それを問うことで格差を縮めていけると思っていました。先進国の豊かさは開発途上国と言われる人たちの搾取で成り立っていったわけだからね。消費者一人ひとりが「こんなにお金がなくても豊かって言えるんじゃない?」とか、豊かさに対してそういう見方ができるようになれば、世界中のギャップが少しは解消するんじゃないかと思っていました。でも、今は先進国の人々がぼろぼろと崩れようとしている中で、彼らが価値観を問い直さない限り、大きな不幸に陥ってしまうと思います。お金ではなくて「生きる」ってどういうことかとか、それに必要なものをみんなが認識しないといけない。まさにそれがこれからを決めるかなって思っています。東日本大震災のときもそうでしたが、あの中でちゃんと生きられるというのは本当にお金じゃないんですよね。そういうときに、一番底にある大事なものが見えてくるんだと思います。それは、やはり絆だと思いますし、そういうときに自分がどう行動できるかっていう強さとか知恵とか技術とか…最終的には人と人との信頼関係がないと奪い合いになってしまうんだと思います。そういう、いろんなことを考えさせられましたね。だからこそ、今がまさにそういうことを考え直すチャンスだと思いますし、私はずっと問い直すきっかけを作ってきたので、これからも続けていけたらいいなと思っています。

何も話すことがない人はグローバルに活躍できない

グローバルに活躍したい学生は、どのような経験をすべきだと思いますか。

たくさんあると思うけれど、学生のうちに地を這いずるような貧乏旅行をしておいた方がいいと思いますね。とにかく体一つで世界中を歩くこと。別に世界全部に行けという意味じゃないけれど、いろんなところにいって、暮らす人の目線で旅をするということかな。大きなホテルに泊まるのではなく、できれば民泊がいいですね。「すみません、お願いします!手伝いますから」って頑張って現地の人に頼みこんで、できるだけ暮らしの目線でものを見ながら旅をする。そこのものを食べて、生活の場所を歩いて、そこの暮らしをするってどういう意味かわかるくらいの時間をかけつつ、旅をすることですね。都市ばかりに行かなくていいので、先住民族とか農村とか、都市に行くならスラムもあわせて行くとか、いろんなところを見るっていうのが大事だと思います。たとえ全部見ることができなくても、いろんな場所の暮らしを体験できれば想像できるので、気になっている場所にいって、そこで様々な体験をして、できるだけ広い視野を持つことがすごく大事かな。

広い視野を持つために、他にはどのようなことをするといいでしょうか。

あとは、やっぱりいろんな本を読んで、「自分で判断する視点」を養うようにすることですね。これって難しい。報道の乗ってくることは、実は偏っているんで すよね。だから、一言で言うと、視野を広げるという意味で、多様な情報に接するっていうことかな。ひとつの問題に関しても、複数の立場の意見を読んだり聞 いたりするようにするとか。それってグローバルに活動するために大事ですよね。あとは、いろんな人の話を聞くことかな。とくにグローバルに活躍したい人 は、まずは日本を知らなければいけないと思うのね。だから、沖縄から北海道まで農山村とかをあちこち行ってみて、そこの人たちといろんな話をしてみる。そ して、世界の話も聞いてみる。話を聞きながら旅をすることが役に立つと思います。

なぜ「日本を知る」ことが大切なのですか。

日本のことを知らないから外に出られないという意味ではありません。私も順番が逆でした。普通の人は、たぶん自分の周りのことは当たり前だから興味がなく て、見えないところに行きたくなると思うんです。私もそうだったんだけれど、とにかく外に興味がありました。でも、外に行くとまず自分の説明をしなくちゃ いけない。「あんたは何者なの?」って聞かれるけれど、説明できない。日本のこともあれこれ聞かれるけれど、わからない。このような経験をすることで、自分がいかに自分のことを知らなかったのかということに気づきました。そうやって、日本にも興味を持つことは普通だし、私もそのパターンなのね。だから、最初から興味がなくてもいいから、そのうち日本についてとか、特に自分が生まれ育った場所とか地域とかそこを中心にしたことを調べて知る。それって、実は自分のアイデンティティにもつながるし、自分が生きていくうえで、どこで活動するにしても基盤となるものなので、大事にした方がいいと思うんです。「グロー バルに活躍する人」というのは、「英語使い」という意味ではなく、「何か話すことがある人」ということだから。その人が誰で、何ができる人なのか、何をし た人なのかだから。私がもし日本から代表する若者をシンポジウムに呼んでくれって言われたら、英語が全然できなくても、太鼓が叩ける人を出したい、もしく はごはんをちゃんとお釜で炊ける人を出したいって思うのね。その人の方が話すことがあるから。なので、自分をどこかの時点できちんと押さえるのは、グローバルに活躍するうえで大事だと思っています。

オペレーションローリーの仲間たち

1991年北極海横断途中、北極点にて

ミクロネシアヤップ島での実習授業

編集後記

私は、今年の夏、高野先生の指導のもと、環境教育活動に参加しました。山の中で「電気なし、ガスなし、トイレなし」の環境で自分の身一つで生活した とき、本当に大切なものが見えてきました。安全快適で、どれだけ恵まれた環境で育ってきたのかという事実に気づいたと同時に、自然に感謝する心を忘れてい たことにハッとしました。普段頼っていた指一本でつけられる電気やガス、そして携帯電話やインターネットは、実はそれほど大切ではないかもしれない。そし て、水道をひねると水が流れてくるまでのプロセスは、普段気にかけていなかったけれど、実は大切だったということ。自然の前では人間は本当にちっぽけなの だということを忘れ、傲慢になっている自分がいました。自然と向き合うことは、まさに自分と向き合い、価値観を問い直すことでした。今回のインタビューを 通じて、高野先生が自然教育活動を通じて、私たちに伝えたかったことがあらためてわかりました。そして、今度は世界や日本と向き合うことで、自分と向き合 おうと決意を新たにしました。世界で活躍することができる「自分」を確立しようと思います。

西辻 明日香(商学研究科1年)

材料工学の魅力について

こんにちは! しばらく就職活動でお休みをいただいていた、学生スタッフHOです。

今回はブログということで皆さんが興味を持って貰えるようなものを書こうと思ったのですが、ネタが思いつきませんでした… そのため、ありきたりですが自分が専門とする材料工学について書きたいと思います。

突然ですが、材料工学って一体何でしょうか・・・

簡単に言いますと材料工学とは材料の性質や機能を解明することと、新しい材料を作り出すことを目的とした学問です。この材料というのは金属、ガラス、高分子、セラミックなど幅広いモノを対象としています。

この材料工学は機械・電気・情報・土木と比べると圧倒的に専門している学生数の割合が少なく、その他の工学に分類されてしまうほど知名度も低いので一般の人にはあまりイメージが湧かないと思います。(図1参照)

図1. 工学部の分野ごとの人数と割合[1]

さて、ここからは皆さんに材料工学のイメージを持って貰うために、そのような材料工学が一体どのように社会で役立っているかをお話しします。例えば分かり易い例として飛行機があります。

従来の飛行機の機体は金属材料でできていましてが、最新の飛行機の機体は金属ではなくカーボン複合材という新しい材料が用いられています。簡単に説明しますとカーボン複合材とは服の素材に用いられるアクリル等の有機系繊維を蒸し焼きにし、炭素以外の元素できるだけ抜いてつくった炭素繊維と、樹脂を混ぜ合わせたものです。

そしてこのカーボン複合材という材料を飛行機に用いることで新しく実現したことがいくつかあります。

1点目は従来と比べて窓の大きさを1.3倍に出来たことです。

カーボン複合材という材料は鉄と比べると、強度は10倍以上と非常に丈夫な材料です。そのため、これを飛行機の機体に用いることで胴体部分を構成している骨組みの数を減らすことできました。実は飛行機の窓というのは骨組みのない場所にしか作れないので、骨組みの数が減らせることで結果として窓のスペースを大きく確保できるようになりました。

図2. 窓の大きさ比較(左図:カーボン複合材使用の飛行機、右図:金属材料使用の飛行機)[2]

2点目は機内の湿度を10%~20%に保つこと出来るようになったことです。

長時間のフライトで飛行機に乗っていると、空気の乾燥により喉が痛くなったり肌が荒れたりと、不快になる人がほとんどではないでしょうか。実は飛行機はこれまであえて乾燥させている状況にさせていました。理由としては飛行機に用いている材料が金属材料であったため、サビを防止するためです。しかし、カーボン複合材は金属ではないため、サビの心配をすることなく、機内に加湿器を設置することができるようになりました。結果としてこれまでの10%以下の湿度を、10%~20%に改善することできるようになり、快適な環境を実現できました。

図3. カーボン複合材使用の飛行機の機内[3]

3点目は機内の気圧を高めることができたことです。

飛行機に乗ると耳が詰まったりツンとしたりすることはありませんか。その原因は地上との気圧差で、飛行時、1万数千mという高い高度を飛ぶ機内気圧は地上の1/5程度しかありません。そこで空気を送り込むことで機内の気圧を高めていますが、従来の飛行機の場合、機内の気圧は富士山の5合目の高さに相当する2,400m前後でした。しかし、これも金属材料よりも丈夫なカーボン複合材を用いることで、機内の気圧を、富士山の3合目の1800m前後の気圧まで高めることできるようになりました。結果として地上との気圧差が小さくなり、従来の飛行機よりも耳詰まり等が起こりにくくなっています。

図4. 富士山の外観[4]

さて、このように普段何気なく利用している飛行機の機内環境は飛躍的に向上しつつあり、それはカーボン複合材という新しい材料が開発されたことで実現しました。材料工学というはあまり一般の人には認知されていませんが、材料とは全てのモノの根源であり、縁の下の力持ちです。そのため、飛行機を変えたように今後も社会を変える可能性を秘めた分野だと思います。そのような部分が材料工学の魅力ではないでしょうか。

話は変わりますが今年の秋学期にはICCのフィールドトリップ イベントとして航空会社の整備工場見学が予定されています。このブログを呼んでいただいた皆さんには、整備工場で飛行機を見たときに材料の話を思い出して、航空会社の方に聞いてみて欲しいです。きっと最新の飛行機について理解が深まるでしょう。

以上、私の長々とした文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

写真引用元

[1] 大学 学部・学科分野別学生数とその割合

[2] 窓の大きさ比較(左図:カーボン複合材使用の飛行機、右図:金属材料使用の飛行機)

[3]カーボン複合材使用の飛行機の機内

[4] 富士山の外観,

H. O. (Student Staff Leader)

中東の楽園ドバイ -何度でも訪れたい場所-

去年の8月、不思議の国ドバイに一週間ほど旅をしてきました。一度マルタ行きの乗り継ぎでドバイ空港の規模の大きさや、床の隅々まで煌びやかに見える清潔さ、並ぶ店舗の豪華さに圧倒されたことはあったものの、ドバイの地に足を踏み入れるのは初めてのことでした。

そして、この国に滞在して改めて抱いた印象は「非現実」です。60年ほど前、この地域は一面の砂漠でした。石油はまだ発掘されるに至らず、人々はラクダに乗り、魚を市場で売ったりファルコン(鷹)使いをしたりして生活していました。

それが2007年には世界で一番高い建築物であるバージュハリファが完成するほどの経済発展を遂げたのです。

旅行中の数日間だけでも、街の至る所で高層ビルの建設が進み、前日なかった場所に植物が植えられたりしていました。タクシードライバーの1人も「現在200以上のホテルが作られているからこの先道を覚えられるか心配」と冗談めかして言いました。実はドバイに住所はありません。都市計画が着実に実現していく中、住所の特定がどのように行われるのか気になります。

そして、ドバイには世界中の飲食店やブランド、テーマパークが揃っています。まるで世界のミニチュアを見ているような気分です。砂漠のなかに50年余りで築き上げられた楽園-全てが完璧に出来ていて、足りないものは何一つない世界。気温60℃湿度70%の気候であるにも拘らず建物の中は日本の室内よりも肌寒く、レストランでは絶え間なく料理がテーブルに並べられ残り物は惜しみなく廃棄されていく…地球には、これだけの人の動きを支える資源があるのかと、少し違和感を感じました。

ドバイで見かける単純労働者は主に海外出身です。聞いて回ったところ、パキスタン、インド、フィリピン、レバノン、エジプト、チュニジア、エチオピアの人々の割合が高かったように思われました。

白い民族衣装を来たアラブ首長国連邦(UAE)の人々はブランドもののショッピング袋を持ち、カフェやレストランで談笑したり食事を楽しんだりしていました。その光景に、最初は疑問を覚えました。しかし、どの労働者もいきいきと仕事を楽しみ、ゲストに優しい笑顔で話しかけ、礼儀正しく振舞っている様子を見て、日本が見習うべきドバイの良さに気付きました。

労働者はどこの出身であっても適切な給料を支払われ、適切な労働時間で雇われます。工事現場で働いている人の姿も、陽が一番強く照る正午あたりになると姿を消し、休憩をしていました。街にはごみ箱が多数設置され、道にはごみ一つ落ちていませんでした。

この労働条件や環境は人々が心の余裕を持つのに大事な要素であると思います。

ドバイでは単純労働者を含め殆どの人々が英語を問題なく話し、犯罪率も非常に低いです。セキュリティがしっかりしているのに加え、飲酒や薬物療法が厳格に禁止されているので酔っ払いなどに遭遇することがありません。スーク(市場)でさえものを盗まれる気がしないのは、犯罪行為を行った末に待っている刑罰が厳しいからでしょうか。

ドバイはイスラム教国です。毎日礼拝の時間には町中に祈りの歌声が鳴り響きます。今世界では、イスラム教を掲げてテロに走る集団が多くあり、この宗教に偏見を持っている方もいると思います。しかし、ジュメイラモスクでは”open doors open mind”をモットーに内部見学ツアーを行っていました。異教徒であるか否かは関係なしに誰もが温かい飲み物と軽食で歓迎され、本質的な意味で教会らしい場所でした。見学中プレゼンターが言った「イスラム教は平和な宗教です。今一部の人々によって引き起こされた悲劇で、私達や私達の宗教を決めないでください」という言葉が今でも鮮明に思い出せます。宗教は悪くありません、それを利用する人々の心が悪いことをするのです。ドバイのイスラム文化に触れてみて、改めて実感しました。

イスラームではザカートという喜捨の習慣があります。これは、お金を持っている人々がその一部を自分のコミュニティで生活に困っていそうな人に寄付する行為です。UAEでは富が上だけに独占されずに、全体に行き渡っているようです。それも治安が良い一因であると考えられます。

1日1日、吹いては消えていく砂漠の砂のように目まぐるしい変化と遂げていくドバイ。

そこには、この文章に書ききれなかった人々の声、魅力、問題が沢山あります。この先この国がどう進展し、どんな課題に直面するかを予想するのは困難です。

ですから皆さんにも是非、そんな奇想天外なドバイの現実を体験していただければと思います。

 

学生スタッフリーダー R. T.

知らない領域に飛び込んで世界を広げてみよう。それから好きなものを選択すればよいのだから

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2011年12月27日公開)

                 欧州復興開発銀行(EBRD)
中沢 賢治

1956年新潟県出身。79年東京大学法学部公法コース卒業。79~90年東京電力株式会社勤務。88年ペンシルベニア大学院行政学修士号取得。90年外務省アソシエート・エキスパート試験格。91~92年国連工業開発機関ウ イーン本部勤務。93年より欧州復興開発銀行勤務。ロンドン本部電力チームウズベキスタン、マケドニア、キルギス事務所長歴任。2011年8月EBRDビ ジネス開発担当。12月EBRDロンドン本部中小企業技術支援チームに赴任。

 

今の仕事との出会いは運命のようなもの

今のお仕事に就かれた経緯について教えてください。

日本の電力会社で燃料関係の仕事をしていましたが、海外の燃料事情を調査し、国際的に活躍する人々と関わる過程で、自分も外の世界を経験してみたいという 気持ちが強くなりました。ちょうどその頃、たまたま新聞で外務省アソシエイト・エキスパートの募集を見つけました。1989年の夏の話です。これは日本政 府が国際機関に2年間日本人を派遣するプログラムです。このプログラムがなければ、私が国際機関で働き始めることはなかったでしょう。このプログラムの資格試験に合格したあと、受け入れ先の国際機関は自分で探す必要がありました。それまで燃料事情調査、調達計画の仕事をしていましたので、経験を活かせる仕事を探しました。ちょうどウィーンに本部のある国際連合工業開発機関(UNIDO)の省エネルギー・省資源に関するプログラムで空席があると聞いて、応募 を決めました。以前の仕事から発展途上国の経済開発に興味を持っていましたし、やはり自分の経験を踏まえて一貫性のある仕事がしたかったですね。自分の専門分野を見つけることは、学生の皆さんが将来の選択肢の一つとして国際機関で働くことを考える際に一番大切なポイントだと思います。自分の専門から全く異 なる分野に移るのはとてももったいないし、なかなか難しいと思います。欧州復興開発銀行(EBRD)との出会いについては、運命かなとしか言えませんね。EBRDが発足したばかりで、たまたま私が欧州で仕事をしていて、その新設の国際機関が電力分野の経験者を募集していたという3つの偶然が重なったのは幸運でした。

今までで一番印象に残っているお仕事は何ですか。

1993年にEBRDに入ってからいろいろな国を回ってきましたので、どれか一つを選ぶのは難しいですね。でも一番心に残っているという意味では、 EBRDに入って初めてプロジェクト・リーダーとして、アゼルバイジャンの水力発電所の改修工事を担当したことです。1994年のことで、プロジェクトの 発掘から理事会承認を得るための最終報告まで、仕事のサイクルのすべてを責任者として担当しました。EBRDでリーダーとして責任を与えられた初めての経 験でした。アゼルバイジャンの電力公社総裁とは、情報開示の必要性、電力事業の構造改革の方向性、将来の投資家誘致策などを話し合いました。発足したばか りのEBRDに対してマスコミでその活動を批判するキャンペーンが行われるなど、EBRDが難しい状況を迎えていた頃でした。そうした中で自分にまかされ た大きなインフラ・プロジェクトでした。これが調印に至り、英経済誌エコノミストの記事でEBRDの最近の活躍の例として言及されたときは、とても嬉し かったのを覚えていますね。EBRDはとてもスリムな組織なので、それだけの権限を与えられ易いという面白さがあります。

12年間に及んだ途上国勤務経験を活かして新たな分野に挑戦したい

今のお仕事のやりがいを教えてください。

EBRDは1991年に発足しましたが、世界銀行やIMFと比べて後発の機関である点から、設立の際に既存のものとは異なる機関にするという条件がありま した。その例として、EBRDはマクロ経済分析を担当する部局は少数精鋭でオペレーション・サポートを優先課題とし、経済分析については可能な限り、先行 機関のデータと調査結果を活用していることが挙げられます。EBRDが民間セクターに傾斜し、非常に専門性が強く、機動性が高いというのは、このような国 際協調があって初めて可能になる話です。それから私にとってEBRDの一番の魅力は、柔軟性があって風通しが良いというところです。私が日本の会社を辞め た理由の一つが、日本だけでなく他の世界も見たいと思ったことでした。私はEBRDで18年間勤めてきましたが、最初は電力チームのバンカーになり、ウズ ベキスタン、マケドニア、キルギス共和国の事務所長として現地でEBRDを代表する仕事に就いてからは地場の銀行や中小企業の支援を仕事の中心としてきま した。このようにいろいろなタイプの業務と金融商品を経験し、銀行内で職種を変えることができたので、EBRDの業務に飽きるということはまったくありま せんでした。「自分は専門家として一つの分野を長くやりたい」という方もいますが、そういう方はEBRDを経験してから元々の産業セクターに戻ることが多 いようですね。EBRDには長く勤続しなければならない文化はなく、風通しがとても良いですし、現実の経済と近いところで仕事ができることがやりがいで す。この12月からはロンドンの本部に赴任し、中小企業向けの技術協力を担当することになっています。

辛かった経験や壁にぶつかった経験があれば教えてください。

国際機関で働き始めて、最も大変だったことは言葉です。英語圏での留学経験はあったので、会議やレポート作成もなんとかなると思っていましたが、最初は大きなプレッシャーがありました。国際機関で働く際に、英語でのレポート作成能力とプレゼンテーション能力は必須です。幸か不幸か、世銀出身で人使いの荒いことで有名だった当時の上司は、私の作成したレポートにいちいちコメントを入れる人でした。自分のドラフト力が不足しているのかと最初は悩みました。とこ ろがその後、ネイティブの同僚たちも同じ目にあっていることを知って気が楽になりました。この上司の指導の下で6年間を過ごした頃には、一人で仕事ができ るようになっていました。EBRDの場合はロシア語圏の国が多いので、次のチャレンジはロシア語でした。途上国の勤務で現地の言葉がわからないで、通訳を 待っていると交渉が不利になることもあります。私はロシア語の歌のCDを毎日聞き、ロシア語と日本語の両方の字幕付きの映画を繰り返し見ることで、会話の内容がだいたい理解できるようになりました。相手の言っていることが理解できると、国際会議でも非常にプラスなのは間違いないです。話すほうはまだ発展途上段階ですね。

中沢さんは中央アジアの国々についてはどのような印象をお持ちですか。

「発見」の一言につきますね。学生時代の世界史の授業でイスラム圏の様々な学者や医者の名前を学びましたが、それらが実際にどこの国の人なのか知りません でした。たとえば、日本でもヨーロッパでもウズベキスタンのことを知らなくても、サマルカンドの青タイルのモスクやブハラのミナレット(尖塔)のことは本 で読んだことがあるという人はたくさんいるわけです。私はシルクロードと言ったらなんとなく中国の西域あるいはトルコの周縁あたりかなと思っていました。 しかし、ウズベキスタンに行って驚いたのが、イスラム文明にとって非常に重要な遺跡がそこにあることでした。キルギスの場合は、三蔵法師が書いた大唐西域 記に出てくるイシク・クルという湖があります。中国でもなく、トルコでもなく、ペルシャでもなく「中央アジアという世界があるんだ」ということが私にとっ ての発見でした。中央アジアは日本人にとっては、とても不思議な場所です。自分のおじいちゃんやおばぁちゃんに似た顔立ちの人がたくさんいますので、自然 とノスタルジックな気分になってしまいます。ところがいろいろな人々がいますから、その中で遊牧民族系だったりすると、考え方はまったく違います。何が似 ていて、何が違うかを考えることは、自分がどういう人間なのかを考える一つのきっかけになりました。

自分の知らない面白そうな世界を見てみたかった

中沢さんには今の大学生はどのように映っていますか。

私が海外勤務に憧れていた頃と比べると、やはり「内向き」ということをよく聞きます。私にとって、知らないところに行って、新しいことを経験するというこ とは喜びですが、どうも最近はそれを喜びとして感じない人が増えているように感じます。やはり経験してみないと分からないということはありますよね。そう いう喜びを知らないまま生きていくとしたら、それはそれで残念な話かなと思います。私がそもそも国際機関に憧れたのは、明石康さんや緒方貞子さんの回顧録 などを読んで、自分の知らない面白そうな世界があることを知り、そういう世界を見てみたいという気持ちが強かったわけです。今の大学生があまり外に興味を 持っていないとなると、果たしてそれは若い大学生たちの責任なのか、それともその上の世代が「君たちの知らないこんなに面白い世界が外にあるんだ」と紹介 し、刺激をあたえる努力を怠っているのか微妙なところでしょう。私が思うのは、国内での仕事が好きな人もいれば、海外での仕事が好きな人もいて、どちらも いても良いということです。私の場合は、長い間、海外にいたからこそ日本の古典が懐かしくなり、外から日本を眺めて、あらためて日本を好きになったことを 強く感じます。日本にいることと日本の外にいることの両方を経験し、比較して始めて実感できることもあると思います。どちらも経験した上で好きなほうを選 べば良いのです。お互いの違いを認識でき、落ち着いて比較検討したうえで自分の意見を形成することがグローバルなアプローチだと思います。

最後に、大学生にメッセージをお願いします。

途上国勤務を12年間やってきた中で、いろいろな形でJICAの協力隊員の若い人たちに出会いました。大学を卒業してまだ間もない人たちもいました。おそ らく自分探しの旅をしている途中ではないかと思います。試行錯誤をしながら現地の人たちと触れ合うことでまた啓発されて、自分の方向を定めていこうとして いるとても元気で魅力的な日本の若い人たちを大勢見たわけです。このような途上国での協力ボランティアは一つに選択肢にすぎないにしても、日本にいて行き 詰ったと思う方や、2,3年違ったものの見方や感じ方をしてみたいと思う方がいたら、「今とは違うオプションもあるんだ」ということを私は強調したいと思 います。

欧州復興開発銀行
http://www.ebrd.com/pages/homepage.shtml

キルギス駐在時代

タラス峡谷の天幕に住む人々

ゴルフ・トーナメント表彰式

ゴルフ・トーナメント表彰式

投資評議会の様子

投資評議会の様子

編集後記

シルクロードと言ったら私も中国やトルコのイメージが強かったのですが、中沢さんが語ってくださった中央アジアのお話がとても新鮮で興味深かったで す。実は文化的・歴史的な意味で中央アジアもシルクロードの中で非常に重要な地域であるというお話があったように、実際に現地に行った人にしか感じ取るこ とができないものはたくさんあるということを改めて感じました。そして、中沢さんがおっしゃるように、自分自身のことも周りのことも「こうだ」と決めつけ るのではなく、いろいろなことを経験して、そこから生まれてくる自分にとっての発見を一つひとつ大事にしていきたいと思いました。

陸 欣(国際教養学部4年)

日本人としての誇りを忘れないでほしい。まずは何より自分に自信を持つこと

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2011年12月19日公開)

国連広報センター(UNIC東京)所長
山下 真理

1990年、政務官補佐として国連に加わる。政治局において選挙支援やアフリカ南部、東南アジア地域などを担当。クロアチアPKOで国連次席選挙事務官、国連ネパール・ミッションで政務室長を歴任。2010年7月から現職。

 

国連という仕事場がオプションとしてあるということ

国連で働きたいと思ったきっかけは何ですか。

一番大きな理由は、私の生い立ちだと思います。家庭が国際的な環境にあったので、日本で生まれましたが、3歳から小学校2年生まではドイツで教育を受けました。自分の人間形成の過程で自然に外に目が向いたのだと思います。中学生高学年の頃再びドイツに住み、インドのドイツ人学校に通いました。しかし、日本の大学に入りたいと思っていたので、そのためにも日本の高校に入学する必要があると考えて帰国しました。その時期に国連という舞台があることを知って、もしかして自分に合うのは国連かなと考えていました。自分に合う職場は何だろうと、そして自分のバックグランドに合うところはどこだろうと考えたときに、自然と国連が自分にマッチしました。

どのような学生時代を送っていましたか。

私は上智大学法学部国際関係法学科を卒業しました。国連についてもっと知りたかったので、当時は国際機構論や組織論など限られた授業しかない中、国連に関係する授業は一通りとりました。大学のゼミがとても厳しかったのですが、英語の文献をたくさん読み、英語力はとても鍛えられましたね。また、国際関係の学生団体にも所属していました。そこで国際会議を開いたり、留学生と国際交流をしたりしていました。そして大学3年生のとき、当時上智大学で教鞭を執られていた緒方貞子先生のもとで、日本でも模擬国連を組織化しようという動きがありました。私は「自分が探していたものはこれだ!」と思って、大学時代最後の一年は模擬国連にかなり没頭しました。今は模擬国連というと全国的に広まっていますけど、当時はいくつかの大学にしかありませんでした。そういえば早稲田の学生も多かったのですよ。今でも一番仲のよい友達はそのときに知り合いましたね。

その後国連で働き始めた経緯を教えてください。

私は、これをよく言うんですけど、おうし座なんですよ。おうし座は突進型で、本当にあの当時は突っ走っていましたね。大学院はやはり語学と専門性のために 絶対に行こうと思っていました。大学院を卒業するときに、たまたま国連競争試験があったので、受験するしかないと思いました。それで合格をいただいて、か なり珍しいケースではありますが、大学院卒業後にすぐに国連で働き始めました。今は状況もかなり違うし、私のようなケースで国連に入れることはまずないと 思うので、非常にラッキーだったと思います。大学院1、2年生のころにインターンをやっていましたが、そのオフィスにちょうど空席が出たのと、専門の政治 で試験を受けられたというのも偶然でした。そういうことが重なって国連に入ることになりました。

強い信念とグローバルな意識を持つということ

国連で実際に働くようになって、働く前と比べて国連に対するイメージが変わったところはありましたか。

学生として勉強していた国連はどうしても論理的な内容が多かったし、仕事をする場としては想像もつきませんでした。実際に入ってみると国連というのはすごく大きな組織で、とにかく世界規模でものを動かしているシステムだということがわかりました。その国連に携わることができるというのは、私にとってとてもエキサイティングなことでした。ビルに入っただけで、当時はすごくわくわくしていましたね。国連は国際ニュースのヘッドラインになるようなことに必ず関わってくるし、そういう実感は湧いてきましたね。自分に合っているなあとも思いました。あと職場ですが、職場はやはり人が作る雰囲気ですよね。色々な国の人が集まっているので、人種も宗教ももちろん違いますが、それが普通という感じです。あとはやはりチームベースで働いているので、お互いのことをよく知っています。日本の会社ではあまりないかもしれませんが、家族ぐるみで付き合ったりすることが多いですよ。すごく人間的な職場だと思います。

国連で長いキャリアを積んでいらっしゃいますが、国連での仕事を続けてこられた理由は何ですか。国連ならではの仕事の難しさはありますか。

やはり国連の理念に強く賛同しているところでしょうか。それだけではなく、その理念に直接関わることができるということ、それが自分の原動力になっていま す。いつも意識していることは、国連を通して世界に携わるということは貴重な機会であること、そして国連の仕事に携われることがとても光栄であることで す。あとはやはり「自分に合った職場」であるということが大きいですね。それから、国連の仕事というのは、私が携わっていた選挙支援はまだしも、その多く はすぐに結果が出るものではありません。「国連は結局、何をしているんだ」ということをよく言われますが、結果が出ていない中で対外的に説明をしないとい けないというのは大変なことなんです。時間がかかるということは、信じて動かないと継続できないということでもあるのです。

女性だからこそ国際社会に貢献できることは何だと思いますか。

国連は女性にとって働きやすい職場だと思います。私がニューヨークにいたときは、在宅勤務制度も導入され、様々なフレキシブルなオプションがあります。で も、女性の地位がまだまだ平等ではないところはたくさんあります。特に若い女性が国連を代表して政府代表や現地のリーダーと交渉をしたりする場合、それに 抵抗を感じる人も沢山います。そういう時は自分の専門性に自信を持つことが大事です。それから自分に託されたものは何か、その時々の自分が置かれている状 況は何か、ということをきちんと理解することが必要です。「人生いつまでも勉強」というのは本当にそのとおりです。世の中はどんどん変わっていますから、 常に情報をアップデートするための勉強が必要です。あとは中身で勝負ですよね。そこは女性も男性も変わらないと思います。どうやって話をするかとか、相手 がどういう文化的背景から来ているのかを理解するとか、そこはセンシティブに対応しないといけないですね。女性やアジア人には、そういう気配りがあるよう な気がします。

外に目を向けるということ

国連で働くために、求められる能力は何だとお考えですか。

語学力というよりは、まずコミュニケーション力が抜群でないとだめですね。これは間違いないです。そのうえで、コミュニケーションを何語でするかが問題な んです。まず英語で抜群のコミュニケーション力をつけないといけない。英語圏で生まれた人以外はみんな訓練ですよ。ひたすら訓練です。ここで言うコミュニ ケーション力はいろいろあると思います。もちろん話す能力、自分の意思を伝える能力、分析したものをプレゼンテーションする能力は必要です。とにかく伝え たいことをいかに簡潔に分かりやすく伝えるか、論理性がどれだけ通っているのかというのも大事です。それ以上に大事なのは聴く能力ですね。特に国連の様に 多文化な環境では、まさに相手の立場を理解するために聴く能力も抜群でないといけない。聴くだけじゃなくて理解もしなきゃいけないのが難しいんです。どん なにオープンマインドでいようと思っていても、やはり無意識に自分の中に入っているものがあるんですよね。自分にとって常識であるものが世界で必ずしも常 識じゃない、そしてすべての人が共有しているわけではない、ということを認識する。そういう姿勢が大事です。

 

現在はどういったお仕事をされていますか。

国連の広報センターというのは実は歴史が古くて、PKOよりも古いんですよ。世界中に今67カ所ありますが、東京の国連広報センターは1958年に設置さ れたのですよ。それでその国において国連の広報活動をすると。日本では日本語で国連の活動を紹介するというのが大きな役割です。色々な形で広報するのです が、一つは公式文書翻訳。決議とか国連の報告書など、重要性の高いものから優先順位を決めて翻訳します。なるべく多くのものを日本語で読めるようにするの が一つですね。これは日本の政府も重要視していることです。もう一つはアウトリーチと言うんですけれども、啓蒙活動を含め、イベントや講演、執筆等を通し て広報活動をします。それに加え最近私たちが挑戦しているのがソーシャルメディアで、facebookやツイッターをなるべく取り入れています。これから は、ソーシャルメディアに一層力を入れていきたいと思っています。

今の大学生は内向きだと言われていますが、その点に関してはどのようにお考えですか。

私は去年の夏に、日本に22年ぶりに帰ってきました。そのとき、何で日本と日本人はこんなに自信喪失しているんだろうとショックを受けました。戦後からの 急成長、素晴らしい技術力、安全で平和な国、それが世界から見た日本のイメージです。もっと身近なもので言えば、モノカルチャーや食文化、日本を世界に自 慢できることは数え上げたらきりがありません。アフリカに行ったときなどは、日本から来たと言うと、尊敬と期待の目で見られましたよ。日本というブランド はすごくポジティブなんです。そういうことを私は20年間当然なこととして海外で生活してきました。それが帰ってきたら日本がしょぼんとしていて本当に驚 きました。最近は講演する度に、そうじゃないですよということをできるだけ伝えています。日本の学生についても大いに期待しています。数は少ないかもしれ ませんが、国連や国際社会などに興味を持っている学生は必ずいます。そういう人たちを大事にしないといけないなぁと。興味があってポテンシャルがある人た ちに道が開かれるような、そういうシステムを維持しないといけないと思います。

最後に、国連など国際社会で活躍したいと考えている学生に、メッセージをお願いします。

                                                   国連広報センターオフィスにて

夢を大きく持つことはとても大事です。まず、夢を持つことが学生の特権なので、ぜひ大きな夢を持っていただきたいと思いますね。そして、みなさんにぜひ国連に目を向けていただきたいです。職場のオプションとして国連があるということを、常に考えてほしいです。日本人職員は、私が入った20年前も今も同じくらい少なく、日本人はいつでも歓迎されています。日本人が国連に関わることを世界は求めています。自分の専門分野でグローバルに関わっていきたいと思う人にとって、国連はとても良い職場だと思います。ぜひ志を強く持ってほしいですね。学生だと先が見えないし、不安があると思いますが、私も同じ悩みを持っていました。本当に国連で働けるのか、と。でも、悩みを持ちながらも追求する情熱と力さえあれば、これは必ず実現できる夢なので、諦めないで頑張ってもらいたいと思います。

国連広報センター
http://unic.or.jp/index.php

編集後記

インタビュー中も笑顔の絶えない山下所長でしたが、話の節々に国連に対する強い思いが感じ取れました。「自信を持つこと」という力強いお言葉に背中 を押された気がしました。国連に対する憧れはあるもののやはりどこか遠い存在でしたが、今回のインタビューを通して、国連で働くことはいろんな関わり方が あるということを知りました。様々な分野から異なったバックグラウンドを持った人たちの集まりである国連はまさに世界の縮図のような気がしました。この記 事を読んでくださった皆さんも国連を身近に感じていただければ嬉しいです。

陸 欣(国際教養学部4年)

自分に嘘をつかず、ワクワクできることに果敢に挑戦する

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2011年11月22日公開)

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授
留学センター所長
黒田 一雄

広島大学教育開発国際協力研究センター講師、助教授を経て現職。他に日本ユネスコ国内委員会委員、アジア経済研究所開発スクール客員教授、JICA研究所研究員等。外務省、JICA、文部科学省等の教育開発分野調査研究・評価に携わる。スタンフォード大学にてM.A.(国際教育開発)、コーネル大学にてPh.D.(教育・開発社会学)を取得。

国際社会に結び付きたかった学生時代

黒田先生はどのような学生時代を過ごされたのでしょうか。

大学2年次から3年間、アジア文化会館という海外からの留学生用の学生寮で生活していました。1国につき3人まで入寮可能で、日本人も3人だけ住むことができました。そこでアジアやラテンアメリカなど様々な国の出身者とともに、たった3人の日本人の1人として共同生活をしていたわけです。寮生活は疑似国際社会であり、異文化に対する適応力が身につきました。また東南アジア青年の船という国の青年国際交流事業にも参加しました。当時はアジアに対して貧困や植民地支配の歴史など暗いイメージが強かった時代でしたが、実際に人々と2カ月間生活をともにすることで、アジアは元気で面白くてダイナミックな地域であると肌で感じることができました。社会を変えるのは自分たちだという熱い想いを持つアジアの若者と兄弟のような友人関係を築く中で自分自身が変わっていったことを覚えています。

様々なご経験をされていますが、そのきっかけとなったのはどんなことでしょうか。

何とかして自分を国際社会というものに結び付けていきたい、という想いがあったことですね。私は留学生寮に住んだり、青年の船に乗ったりするほかにも、国連大学で学生協会を作ったり、日本国際学生協会という団体で学生の国際会議を開催する活動に取り組んだり、学部生時代に本当に様々なことをしました。すべての活動にワクワクしながら取り組めたのは、やはりそのような強い想いがあったからだと思います。大学内にも大学の外にも探してみると、実は機会はたくさんありますよね。でも受動的ではいけません。自分から探していく姿勢を持ち果敢に挑戦することが大事です。そのためには、「自分は将来こうなりたいんだ!」という強い想いを抱くことが重要だと思いますね。

自分がワクワクできる分野を真剣に考える

「グローバル人材」に必要な能力や資質はどのようなものだと思われますか。

大きく分けて、専門性、コミュニケーション能力、想いの3つの要素が挙げられますが、中でも最も重要なのが専門性だと思います。いくら英語でコミュニケーションがとれたり、多様性に対して寛容であったり、また国際社会で活躍したいという意欲があったとしても専門性がなければグローバルなプロフェッショナルとしては不十分ではないでしょうか。だから学生のみなさんには、自分は何をもって国際社会に貢献できるのか、ということを真剣に考えてほしいです。私の場合は、教育開発が専門ということになりますが、私は自分の研究分野を愛していますし、とても面白いと思っています。学生の皆さんも、自分の一生を賭して自分を磨いていけると思えるような、自分がワクワクできる分野に巡り合うことが非常に重要です。

大学院に進学しない学生はどのように専門性を身につければよいですか。

大学院は選択肢の1つですが、仕事をしながら専門性を身につけることは当然可能です。ただし就職活動は慎重に行ってほしいです。厳しい状況なのは百も承知ですが、自分がどんな分野で生きていこうとしているか、仕事を通じてどんな専門性を自分の中で構築できるのか、ということをきちんと考えてください。仕事に就いてからも専門性を身につけるべく向上心を持ち続けることです。もちろん企業やNPO、政府は教育機関ではありません。まずは組織への貢献を考えなければなりません。しかし長期的な観点を持ち、特に20代から30代前半は自分自身の向上を強く意識してください。どうせ30代前半くらいまでは、途上国のために本当に役立つような専門性を身につけることは困難です。私個人の経験からも、途上国の人々に育ててもらったという感覚がすごくあります。でもそれでいい。一生を通じて、育ててもらったお返しとして国際社会に貢献できる専門性のある自分を目指して欲しいですね。

どうすればワクワクできる分野が見つかりますか。

学生のみなさんと接していて、ワクワクできる分野を見つけることが難しく、それを仕事にするのはさらに難しいということがよくわかりました。何に関心があってワクワクするかが分からないんですね。でも、やはり肝心なのは様々なことに果敢に挑戦することだと思います。そして自分の好きなことがあったら必死でかじりつく。私も一度は浮気して銀行に入りました。しかし自分をごまかしきれなかった。途上国で教育開発に携わりたいという想いは、どうにも変えられなかった。だから今があります。自分に嘘をつかないで夢を追うと最終的にすごく不幸せにはならないと思います。好きなことをしていると、難しい状況があっても乗り切りやすくなると思います。

ブランドにしがみつく悪い癖

最近の若者は「内向き志向」と言われますが、早大生の実態についてどうお考えですか。

実は早大生が内向き志向であるという印象はまったくありません。例えば、国際協力の副専攻科目は毎学期大人気となっています。そもそも内向きが悪いわけではありません。日本を見ることもすごく大事です。海外ばかりを見ていて日本を考える視点を持たない人は根無し草になってしまいます。つまりは、バランスの取れた視点を構築することが非常に重要です。しかし早大生が均質化してきていることは感じます。もともと早稲田大学の文化は多様な学生がいることです。昔は人と違うことを志向する学生文化があったと私は思っています。最近の学生は、進学校出身、東京近辺出身、社会的な階層的にも恵まれた人たちが増えています。ある意味、慶応と何の違いもない。早稲田大学の目的は多様な分野でリーダーを育てていくことであり、学生が単質的にまとまってしまうのは危機だと思います。

学生はどうすれば多様化できますか。

たくさん落ちればいいんです。挑戦して失敗すればいい。早大生はいわゆる受験エリートなので、落ちるのが嫌だし怖いのだと思います。早稲田大学はブランド力がありますし、早大生はブランド大学の学生であることに慣れてしまっている。最近の学生を見ていると、ブランドにしがみつく悪い癖があるように感じます。ブランドにしがみついて落ちたくないから挑戦しない。これではいけません。様々なプログラムに当たって砕けろという精神で応募していく、ぶつかっていく、そういうことが国際社会でキャリア形成をするうえではとても大事です。みんながそうやって自分のワクワクできることを探していけば、早稲田大学は多様性を取り戻せるのではないでしょうか。

 

編集後記

ワクワクできる分野を見つけることはすごく難しいと思います。何もしなければ何が自分にとって楽しいかさえもわからない。そんなときは黒田先生のように様々なことに果敢に挑戦していくことが本当に大事なのだと思います。私自身も、早稲田祭運営スタッフ、アメリカ留学、そして現在はICCの学生スタッフリーダーと、その時々で自分が楽しそうだと思えるものに挑戦してきたつもりです。そうした中で、自分が専門としていきたい分野がおぼろげながら見えてきたのかなあ、という感じです。黒田先生のように、国際社会に結び付きたいという強い想いを持って様々な機会を探せれば、それに越したことはないと思います。しかし、それほど強い想いがなければとりあえず目の前にある気になることにとりあえず挑戦してみることがワクワクできる分野を見つける近道なのではないでしょうか。

二瓶 篤(政治経済学部5年)

どこの国で何にチャレンジしてもかまわない。狭い日本を出てみることだ

※過去にICCで実施した”グローバル人材・インタビュー”の記事を採録します。名称や肩書等は当時のものです。(元記事は2011年10月11日公開)

早稲田大学副総長(国際担当)

国際学術院教授 内田 勝一

1946年生まれ。専攻は民事法学。70年早稲田大学法学部卒。72年同大学院法学研究科修士課程修了。75年同研究科博士後期課程修了。77年早稲田大学法学部専任講師、79年同学部助教授、84年同学部教授、2004年早稲田大学国際教養学術院教授就任。同大学国際教育センター所長、別科国際部長、国際教養学部長などを歴任。

世界的な課題の解決に貢献する人材
早稲田大学にとって「グローバル人材」とはどのような人材を指すのでしょうか。

そもそも「グローバル人材」という言葉の背景には、グローバルに事業を展開する日本企業の存在があります。海外での収益が増大する中でグローバルに働いて企業の利益を拡大する人材が必要だ、という経済的な要求ですね。もちろん企業のための人材を作るのも大学の1つの重要な役割です。しかし、大学はより広義のグローバルな問題、現在ではエネルギー問題や環境問題、食料、貧困、テロなど様々な問題がありますが、それら世界的な課題の解決に貢献する人材を育成する必要があります。人々が平和に生活して民主主義的な社会になり経済的に繁栄する、それこそが世界的な課題であり、そこに貢献できる人材が「グローバル人材」であると思います。

「グローバル人材」に必要な能力や資質はどういうものだと思われますか。

いくつかの構成要素がありますが、以下の4点にまとめることができると思います。
1.「批判的思考・一般教養」(たんに一般教養があることではなく、物事を批判的に検討し解決策を考える力)
2.「専門的分野」(大学卒業後、社会に貢献する際の基礎となる専門知識)
3.「人間力」(新しい課題について自ら調べる意欲や、困っている人々を連帯して助ける行動力など)
4.「語学力」(英語は必須。さらに学んだ外国語の背景にある文化や社会を理解し、共存を考える力)
これらの能力を獲得するうえで、日本の大学で機能しているのがゼミや研究室です。海外の大学にそういったものはありません。海外のように個人主義的な自主性も大事ですが、日本のように集団的に議論をして結論を出す力を養うことも大切なのです。

海外の大学ではどのような教育が行われているのでしょうか。

日本とは教育の方法がまったく異なります。たとえば、アメリカのリベラル・アーツ・カレッジでは、各授業は大体20人程度の少人数クラスであり、週に5時間程度(1回50分の授業が3回、100分の授業が1回)の授業時間が確保されています。毎回、予習として大量のリーディング課題を読んでくる前提で、授業自体はディスカッション中心で進みます。明日までにこの本を読んで来てください、と先生に言われることもあるでしょう。そのように海外の大学では集中的な教育をします。今後は早稲田大学も少人数クラス、ディスカッションベース、課題解決型の教育を増やしていく必要があります。

海外の大学との多彩な交換プログラム・内なるグローバル化で「変わる」
早稲田大学は「グローバル人材」を目指す学生に何を提供しているのでしょうか。

「グローバル人材」を育成するうえで、早稲田大学の特徴は、海外の大学との交換プログラムをたくさん提供していることです。学生は海外の大学に行くと変わります。自分と同じ世代の人がどれだけ勉強しているか、母国や社会全体が今後どうなるべきかをいかに真剣に考えているか、そんな姿を目の当たりにした早大生には必ず変化が起きます。そのための手段として多彩なプログラムを用意しているのです。しかし、すべての学生が参加できるわけではありません。金銭面や時間的な制約があるためです。そこで内なるグローバル化として大学内をグローバルな環境にしています。11号館付近では、空港同様に様々な言語が聞こえてきます。東大や京大の人が早稲田に来ると、留学生の数と多様な言語に驚いて帰るのですよ。国内の早大生も留学生と積極的に交わることで変化してほしいと思いますね。

学生は学生時代に何を経験するべきでしょうか。

とにかく海外に出ることですよ。長期休暇中に短期プログラムを利用して1カ月でもいいです。外から日本を見てください。そうすると、日本人とは何か、日本から世界に発信する特殊性とは何か、日本のアイデンティティとは何か、ということを意識できます。どこの国で、どの言語で、どういうことをやってもいいです。狭い日本から1度出てみてほしい。早稲田には例えば、韓国語で4週間、渡航費・食費・授業料込みで10万円くらいの短期プログラムがあります。日本で1カ月生活するよりも安いし勉強もできる、ロシア語や中国語のプログラムもある、早稲田にはそういうプログラムが他大学とは桁外れにたくさんあるのです。ぜひ利用してほしい。アルバイトで10万円くらい貯めて日本語が通用しないところで1カ月暮らす。そんなことを是非やってほしいですね。

海外を経験した学生はどのように「変わる」のでしょうか。

それは人によって異なりますが、早稲田から海外に出る留学生で一番変わるのは中国に行った学生、という印象がありますね。早稲田から行く中国の大学というのは、要するに中国のトップ校ということになります。つまり、そこにいる中国の学生は将来指導者になる立場であり、中国の社会をこう変えなくてはいけない、中国をこういう国にしていかなくてはならない、ということを日々熱く語っているわけです。そこに早稲田の学生が入る。自分も日本という国について真剣に考えるようになる。そうすると、帰国後に日本の将来を熱く語る学生に「変わってしまう」わけですね。海外に出たことの結果は人によって違いますが、「変わる」可能性は非常に高いです。

4つの視点を早稲田で学ぶ(グローバル・リーダーシップ・ナショナル・ローカル)

最近の若者の「内向き志向」について、ご意見をお聞かせください。

正確には「内向き志向」に見えるところがある、といったところでしょう。「内向き志向」の根拠として言われているのが、アメリカに行く日本人留学生数の減少ですが、それには様々な理由があります。アメリカで学ぶ日本人留学生数は1994年が最も多かったのですが、当時と比べると現在の大学生世代の人口は40%減少しました。当時は205万人ですが、今は120万人です。また当時の留学生は大学院生が多かった、つまり企業が金銭面を負担して派遣していたわけです。それも今は減少しています。さらにその頃に比べて、アメリカの私立大学の授業料がとても高くなったことも一因でしょう。以上の理由から日本人留学生数は減少していますが、人口からみたパーセンテージは実は変わっていません。アジアからの留学生が増加したこともあり、相対的に日本人が「内向き志向」に見えるということだと思います。

実際に早大生と接する中で感じる変化はありますか。

むしろ最近までは「内向き志向」が強かったように思います。日本は食べ物がおいしく、経済的に豊かで安全です。日本での生活は快適なのでしょう。それがここ数年、特に震災を境に変化しました。日本は人口減少や少子高齢化、円高と多くの問題を抱えており、日本企業はもう国内だけでは展開できません。そうした中、法学部の私のゼミで面白い現象が起きています。長期休暇を利用して、ロシアや韓国、中国の短期プログラムに参加して語学を学ぶ学生が増えたのです。理由を尋ねると、今後はシベリア開発が日本の商社にとって重要であるためロシア語を学ぶ意義がある、と答えます。彼らは今後30年間日本に仕事があるとは思っていません。外に出なければ自分たちの将来がないことを理解し始めたのでしょう。

すべての学生がグローバルに活躍するべきでしょうか。

そうではありません。卒業後に地元に戻り、地元の発展に貢献することも重要なことです。しかし、地元の国立大学に進学した人と、早稲田大学に進学した人が地元に戻ってから同じではいけません。全員がグローバルに活躍すべきなのではなく、学生時代にグローバルな社会を理解することが重要なのです。日本中・世界中から多様な学生が集まって議論する環境が早稲田にはあります。そうした多様な学生と積極的に交わって、グローバル(欧米を含めた全世界)・リージョナル(アジア地域)・ナショナル(日本国内)・ローカル(日本の地域社会)、の4つの視点を学んでください。将来4つの分野のどこで活躍してもかまいません。日本の産業のあり方を学び、グローバルな社会を理解し、日本のアイデンティティをどこに持つかということを考えて、生涯実行していく人を目指してください。

大学間の国際交流式典

司会をする内田先生

 

日韓4大学で行うミレニアム会議の様子

 

US Japan Research Instituteの様子

 

 

 

編集後記

学生は海外に出ると必ず変わる。私自身、アメリカ留学中に出会った中国人や東ティモール出身の友人に刺激を受けた記憶があります。「卒業後はアメリカで働く。でも3年だけだ。アメリカで学んだ経験を活かして俺は中国でビジネスを興す」「私は東ティモールの国費で留学しているの。だからウィンター・ブレークも大学に残って勉強するわ。将来は母国の発展のために貢献したい」世界中から集まる学生と接するうちに、日本とはどのような国であるのか、何を強みとしているのか、なぜ戦争をしなければならなかったのか、なぜアジアの小国が世界第3位の経済大国であり得るのか、など様々なことを考えるようになりました。語学力の向上はもちろん重要ですが、こうした「変化」が海外に出ることや多様な学生と交わることで得られる最も大きなものである、と自分の経験からも実感しました。

二瓶 篤(政治経済学部5年)

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